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NHKスペシャル 終の住処はどこに~老人漂流社会を見て思う事 [徒然なるまま]

NHKスペシャル 終の住処はどこに~老人漂流社会を見て思う事

NHKスペシャルはいつも秀逸である。NHK組織に様々な問題が内在していてもNスペの質が維持出来ている限り大丈夫だろうと思っているくらいだ。

Nスペは過去にも様々な問題を先取りして提示してくれた。ワーキングポアの存在を知ったのもこの番組だった。
復興予算を恣意的に配分していた官僚組織に刃を剥いたのもこの番組だった。国家から予算を認可されている放送局としてこうした取り組みはギリギリの線だろう。

 さて、老人漂流社会は痺れる番組だった。自分が50歳を超えており、高齢者に近いという感覚値もあったろう。あの映像に見えている現実は未来の私かもしれないのだと思うと、実際背筋が凍る思いだった。
現在でも高齢者が3,000万人を超え、この先も一定程度増え続け、社会保障への負担が国家予算に重くのしかかる時代の中で、私は自分の高齢者時代の生活をどのように設計すべきかを鋭く突き付けられた思いがした。

高齢者時代を人間らしく生き抜く最低限度の条件を矮小化して言えば、金、健康、人(家族・近親者)ということになるだろうか?

場所は金、もしくは人によって担保が可能だ。健康を失い、金がなく、人もなくなれば、社会制度だけが最後の砦となるはずだ。
しかし社会制度はそう容易く手を貸してくれる状況に無いというのが番組から受けるメッセージだ。痴呆が進み、自助努力で生きる事が出来ない人間を社会制度が助けられないなら、死を選べということになる。しかしもはや自分で死ぬ事さえ出来ないだろう。

私は、40歳を超えた時点で老後の人生にどの程度金がかかりそうかを試算したことがある。エクセルを使って非常大雑把な未来像を描いてみたのだ。

60歳を過ぎて、仮に男子の平均年齢まで生きると最低限度でも5,000万円程度以上の現金(流動資産)が必要だと分かる。
長きに渡って年金を積み立てた人はこの金額かそれに近い額を年金等で受け取れるはずだ。しかし今後の財政状況ではそれもかなり不透明だろう。

ちなみに私の父は、地道に地方公務員をやり続け、高度経済成長下で民間が父の数倍の収入を謳歌する中でも何とか自制心を保って地味に働いていた。
現在父は90歳だが、55歳定年時代に年金を貰い始め、これまでの受給総額は母の分を含めて約1億円を超えているはずだ。父親世代で一定の年金をずっと支払ってきた人々は皆さん同じような環境下にいるだろう。
父が現役時代に納めていた年金総額がどの程度か分からないが貨幣価値を勘案しても2,000万円以下だったろう。つまり、父(+母)の年金利回り率は500%ということなのだ。それでも母と二人で古くなった家で、どうにか世間並みと言える程度の困らない生活しかしておらず、とても裕福といえる環境ではない。田舎の普通の老夫婦という生活だ。
それでも自分の事を自分で出来る2人は高齢者の中でもまだ幸せな方なのだろう。

 この世代は青春時代を戦争によって破壊された世代で、多額の年金は国家の罪滅ぼしという側面もあるが、国家財政的にみると、私の両親の世代が受け取る年金額は相当な負担額だと言えそうだ。
それでも我が家は中流の中のような家庭だ。一戸建てを持ってはいるが、周囲と比べても特別に豪勢でもなく、既に築45
年を超え、両親の死と共に家屋の存続は難しいと思っている。土地も大した価値もないので、資産としては勘定にも入らない。
両親の貯蓄も大してある訳じゃないので将来、家屋の取り壊しの時期が来た時の出費は今から頭痛の種である。

私の実家は現行の年金制度による恩恵を受けているが、現在の彼らの生活レベルが過度の財政負担と表裏一体だとすれば、今後の高齢者の殆どは中流の中の生活レベルすらも維持するのがかなり厳しいだろうと想像できる。

老人漂流社会に出てくる老人は、普通の労働者だった人間だ。妻を持ち、まじめに働き、普通に生活をしてきた人々だ。
それがあるキッカケによって自分自身の生活を維持できない日が来てしまう。身寄りもなく、金もなく、住む所もなく、社会と他人に依存しなければ人生を支えることさえ出来なくなってしまう。

番組の解説に「歳を取る事は罪なのか?」とあったが、本当にそう感じざるを得ない時代になったな・・と思った。会社などでは年齢を重ねて役職が付かないままで居ると罪な雰囲気が出てくるが、自分ではどうにもならないことでプレッシャーをかけられるのは気持ちの良いものではない。

くしくも麻生副総理が、「さっさと死ねるように」発言をマスコミが報道し、高齢者の高額医療について言及してるため論議を呼ぶだろう。
彼の言い草はちょっと乱暴でかなりの非難と誤解を受けるだろうが、実は言わんとしているポイントは喚起すべき問題である。
マスコミは単純な言葉狩りをして状況や前後関係を報道しないので、発言趣旨を歪曲する傾向があるため相当な注意が必要だが、麻生副総理の言わんとしている問題は、必ず考えなくてはならない事なのだ。

ただ、あのレベルの地位の人間は、こういった微妙な問題に提起をする場合、言い方を考える必要があるが、どうも麻生という人間は育ちのせいか、言葉の選択に鈍感な人物のようだ。井沢元彦氏のように謙虚だがキチンと発言するテクニックを学んだ方が良いだろう。

彼の発言は結局命と金の問題を天秤にかけるのか?という反論や攻撃をされるのだろうが、残念ではあるが命と金の問題は密接に連携しており絶対に否定できない。
社会保障の負担に限界になり始めているのは事実で、継続できる方策を早急に考えねばならないのは誰にとっても明らかだ。

命を金と引き替えにして、命をないがしろにしろとは到底言えないし、個別ケースで対応の違う問題が数多くある点は重々承知しているのだが、私を含む高齢者予備軍や高齢者が、自分の寿命や資金能力を超えて社会に高負担を押しつける形で生きながらえる事が本来的に命を大事にしているのか?という疑問は常々私の中にある。
Nスペでは、男性高齢者に延命措置の希望を問う場面があり、彼は延命を望んだが、私は同じ立場なら逆を選択するだろう。これほどに個人によって考え方が180度違う問題なのだ。

正直言って、生きるとはなんだろう?という哲学的な部分にまで踏み込む問題は、本来議論に馴染まない。個人の宗教観や価値観や人生観は普遍的でなく、実は極めて個人的な問題だからだ。
私個人はベッドに長期間寝た切りになって生き続ける事を全く良しとはしないが、先ほどの例を上げるまでもなく反対の考えだって相当数あるだろう。

仮にこうした問題において、個人の選択をキチンと尊重するというのであれば、究極的な言い方をすれば、まず個人の力でそれを実現すべきとも言える。そして社会が関わるのはそれ以後ということになるだろう。麻生副総理を擁護するつもりは全くないが、彼の言わんとしている点はこの辺りにあったのだろうと推察している。
しかし、いずれの場合でも尊厳のある最期となるような社会制度は存在していて欲しい。
現在は社会に役に殆ど立たないからと言って国家が高齢者の生存や最期のあり方を放置したらもはや国家としてあり得ないだろうし、そんな国家を愛せと言っても若い人だって困るだろう。
しかしこの問題は全くの綺麗事では語れないという点は強調しておきたい。


私は以前から安楽死を個人が選択できる法制化をする時代が来ると予言している人間だ。医療技術の発達で寿命を超える生命を獲得し、自分自身でその行く末を管理できない高齢者を作りだしてしまった以上、自然に反するとは言え、正式な安楽死を考えざるを得ないだろう。

もちろん根幹的には安楽死を是としない。私だって自然に死んで逝きたい。論議も多い問題だと知ってもいる。宗教的観点が絡めば落とし所が全くないとも考えている。
しかし未来の社会構造が、高齢者の生存を自己責任だけでは維持できなくなり、国家も担保出来ないほどに社会保障の負担感が増してくるとすれば、尊厳ある人生の最期を自分自身が選択できる切り札を高齢者に持たせるというのは、尊厳ある最期を選択したいと望む人間には必要であり、そういう選択が出来る時代がやがては来るだろうと考えている。


自分の尊厳を維持しながらキチンと死ねる事が「特別な時代」になり始めているんだという感覚は恐怖に近い。

高齢者の死に方も格差社会となる時代が差し迫っているとも言えるのだ。

少子化もあって周囲に葬式を上げてもらって死後の始末をしてもらえる人がマイノリティーになる時代だって考えられそうだ。

今の20-30代の若者が自分たちの高齢者時代を差し迫った視点で感じる事は殆ど難しい。しかし彼らが高齢者と呼ばれる時代が来る時には、状況は更にひっ迫したものになっているだろう。
現在の若者が高齢者になるころ、生活を支えるのは自律的な資産だけになるだろう。インフレが進めば年金は自分が積み立てたものより遥かに価値を下げて手元に戻ってくる。そうなると私の若い時代よりも貯蓄や資産運用は高齢時の生活維持に必須条件となる。

日本の高齢化社会を単純な姥捨て山状態で解決しないためには社会の相当なる知恵が必要だ。


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子離れできないヘリコプター・ペアレントが社会危機を誘う [徒然なるまま]

昨今は就職活動に親が関与する事例が多いと聞く。Yahooニュースによると親が子どもの代わりにプレエントリーを勝手に済ませたり、子どもに確認せずに会社説明会を予約することもあるという。なかには、合同説明会に同行する親もいるという話まで聞くとちょっと首をかしげてしまう。

ところで、私には子供がいない。だから語る資格がないと言われるかもしれない。しかし、子供の自立には親離れが確実に必要だと自信を持って言える。

私は東京で独り暮らしをするまでは親への甘えを自覚することが全く無かった。親元を離れ独り暮らしをすると生活面の様々な部分で自立を要求される。また大学を卒業し、社会人になり仕送りが無くなり、仕事を自分で決め、自分の仕事で得られる収入範囲で生活をし、人生そのものを自分で運営しなければならなくなることで自立は深まる。

特に人生で起こる諸問題の解決は、生活と直結するため真剣になるし、判断力、忍耐力が自然とつくようになる。

実は私の下の甥A君は某大学を卒業し、社会人1年を経た今年になって東京から実家に戻る決断をした。彼は結構良い大学を出ている。私よりも偏差値的には頭がいい。
就職活動はしていたようだが30社程度を受けて結果的にだめだったようだ。本来はミュージシャンになりたいという希望があって、社会人になってからはフリーターをやりながら自分で作品をまとめDVDを作って世に問うた。
製作費の30万円はバイトで稼いで貯めたらしい。ここまでは実に立派である。

しかし結局日常の生活を維持する金に困り果ててしまう結果となった。彼の兄に聞くとアパート代や生活費などを不定期に母親から援助してもらっていたらしい。それでも生活設計がままならなかったことになる。DVDは2000枚程度が不良在庫になって帰省時に破棄したようだ。いい勉強になっただろう。

こうした経緯を見ていると、社会人としてのA君の決定的な問題点が分かる。物事の優先順位をつけられないのと、自分の生活を自分自身で管理・運営出来ない点だ。

人間腹が減ると先に解決するのは腹を満たすことだ。食欲、性欲、睡眠欲と人間の3大欲の中で食欲と睡眠欲は贖えない。

現代においては戦後のように本当の意味で腹が減る事は稀だ。それでも毎日のオマンマを不断に食べるため人間は働いて対価を得ようとする。
社会人にとって仕事をしなければならない最大に理由はここにある。これは人間が猿人の時代から不偏の法則だ。

しかしオマンマの対価を誰かが補てんして腹を満たしてくれるようになると、人間は他の要素に目が向く。
A君のように自分の夢を叶える方向へエネルギーが向けられるようになるわけだ。
非生産者が非生産的活動を延々とすれば、社会にとっての損失は図りしれない。
A君が桑田さんのようなビッグアーティストになればいずれ社会的負債も解消されるかもしれないが、残念ながら音楽業界で20年メシを食って来た私の目から見ても、バットにボールが当たってホームランになるのはかなり難しいと言わざるを得ない。

結局のところ、自立的に生活設計すらできない大馬鹿野郎を1人生む可能性が大きくなってしまったのだ。
実家への帰還も母親の勧めらしい。そうなるとA君は自分の頭で何も考えず人生を歩んでいることになる。25歳にもなってこれではホトホト心もとない。

パラサイトが変身して社会に良い影響を及ぼすような人間になる可能性を否定はしないが、確率面だけで例えれば殆どゼロである。 ゼロでない限り可能性の追求を了とする考え方もあるし、私のように可能性を残しながらも対応方法を考えるべきだという人間もいる。
いずれにしても、結構な偏差値の大学を出ている人間でも社会に出て自立出来ないのは、親の過剰な干渉が1つの原因だと思わざるを得ない。こんな連中が増殖したら日本社会は底辺の力を失うだろう。

親として子供の苦労を見過ごすのはかなり胆力のいることだろうと思う。私の親も、私が安定した仕事を得るようになってから、どれほどまでに心配をし、子の動向を我慢し続けたか泣きながら語ってくれたことがあった。

しかし私は親が我慢をして干渉しれくれなかった事に本当に感謝している。

私は自分の夢を叶えるために仕事面で非常に苦労をして、収入もままならない時期を何度も経験したことがあった。
しかし苦しくても親を頼るのは犯罪を犯しそうなほど追いつめられた時だけと決めていた。それは親からも言われていた。最後の防波堤があることは心の支えになったが、そこに頼るのは本当に最後の最後という覚悟があった。

幸いそういう事態にまではならず、なんとか自分の裁量で問題解決し、今日まで生きる事が出来た。正直かなり辛い時期もあったが、あの苦労を乗り越えられた事は自分の人生の糧になっている。

「かわいい子には旅をさせよ」という格言があるが、まさにその通りである。

親が子供に手を貸すのは容易い解決方法だ。しかし見守って転びながらも自分で立ち上がる子供を育てて社会に出す事が本来の親の義務だと思う。そういう人間の集積がやがて国家を強くしてゆくと信じている。

安易な助けは結局のところ社会にとってもマイナスなのだ。

確かに現代の就職活動はかつてないほど厳しい。私の時代とも全く違う様相だ。それでもあと40年も50年も生きてゆかなければならない今の若者たちには、時代時代の苦難を乗り越える力を持ってもらわなければならない。親はいずれ死んで行く。助けはいずれ無くなるのだ。
それなら助けは早めに無くなった方がいい。それ故社会のためにも親の子離れは早い方が良い。
腹の減った事を経験した事がない奴にロクな奴はいないという事を云った人もいる。戦後の腹の減り方と今では違うだろうが、一理はあると思う。

モンスターペアレンツなる造語の出現もこうした傾向から出た現象だろう。公立学校に対してそれぞれの親が子供の意思を超えて個別の要求を実現させようとしたシワ寄せだと思う。
何十人もの生徒を1名の教員で抱え、カスタムメイドのサービスを次々と要求し、その実現が当たり前だと考えている親の方が居たとしたら、かなりの問題があるんじゃなかろうか?と勘ぐらざるを得ない。
私が子供の頃はそんな変な親は見たことがない。

それぞれ不満もあったのだろうが、一定範囲内にそれぞれが納めて暮らしていたのだと思う。
何故この時代になって顕著になったのか良く考えてみた方がいいだろう。豊かになり、腹が減らず、自分の周辺だけをことさら小奇麗にすればいいような風潮になったことに遠因がありそうだ。
もちろん公立学校の教員の質の問題だってある。
事は一面的ではないので、それぞれが自分たちを律して対応し、調整するしかないのは自明の理だろう。

私の意見には多くの反論もあるだろうが、私は早期の親離れが本人、ひいては社会のためだと信じている。パラサイトから


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体育会系という上下関係を考えてみた [徒然なるまま]

体育会系という上下関係を考えてみた

 

私は体育会系と呼ばれる人たちが生息する世界の中で尊重されている上下関係が相当な意味で苦手である。
正直言えば嫌悪感がある。

ただ断っておくが体育会系が内在する一定部分には尊敬の念を持っている。礼儀作法や集中力、団結力、先人への尊敬の念などだ。

自分が仕事をしている時にプロジェクトを進める上で体育会的な発想や対応が必要だと思う事はしばしばある。
私が嫌悪感を抱くのはそこではなくて、体育会系上下関係に潜む人間関係に及ぼす力のバランス感覚の悪さなのだ。

先ごろ、大阪で体罰に起因する自殺の問題が起こった。中学生で命を絶つという決断に至る彼の想いを想像すると哀しいなんていう言葉では全く足りない。
しかし、学校現場が生徒を殺す場所になってしまっていたのは決して偶然じゃないと思う。

スポーツを中心とする体育会系を信奉する人々が封建的な上下関係を是としているのにはついては理解出来る部分もある。
スポーツを戦と考えている人には特に封建的な上下関係を必要だと思うだろう。
軍隊的な発想で戦をする世界で強い結束を必要とする場合、一定程度の強制による秩序、序列の維持が必要だと考えられているからだ。


アメリカの軍隊の育成過程で育成者が下士官を罵倒する場面を映画などで見た人もいるだろうが、軍隊では命令を絶対的に聞く人間を生産するため一旦、徹底的に人格を壊そうとする。実弾の飛び交う中で上官の命令に反射的に反応させるための方法なのだが、それがスポーツという場違いな分野に無批判に再利用されているのが体育会系の人々が行っている手法なのだ。

敵を殺し、勝利を収めることを目指す軍隊という特殊環境の中で、強制力が働かないと組織運営や人材の育成が難しいという実態があることまでは否定するつもりはない。
戦争のような異常環境下で絶対的な命令遂行実施と結果を得る事は民主的な方法では成し遂げられないからだ。
だからある目標に一丸と向かう場合、封建的命令を組織に施す事が必要かもしれないと考える部分も無いわけではない。
しかし軍隊のような特殊環境と目標を持つ組織ならいざ知らず、いわゆるスポーツ組織や応援団、教育現場、一般企業が統制方法として軍隊を系譜としたような封建制度な方法で人間を育成、管理する点については異論がある。
この違和感の根本には体育会的上下関係の根本思想が朱子学にあり、その系譜を引いた日本陸軍の影響の残影を感じるからだろう。

私は体育会系の上下関係を支持する人々の中で、上位に立つという事を本質的に理解している人間に会った事がない。
それが異和感を抱く理由だ。
体罰や威圧による統制方法は、下の人間が反撃・反発・反論・抵抗できないという大前提がある。
上位者に対する下位者の批判や意見をキチンと受け入れない風土も体育会系の特徴だ。こうした環境は歪以外の何物でもなかろう。
元巨人の桑田投手が指摘するようにこの統制方法は“極めて卑怯者の方法”だと表現する点はこうした背景があると考える


結局のところ、体育会系の組織運営方法は、上位者にとって極めて運営し易い構図がある。基本的に論理的でなくても運営可能で、言いがかりのような命令でも有効だからだ。
年齢と地位と経験が全ての上位に立った統制根拠となっているから、下の人間にはそれを超える方法や手段が無い極めて一方的で異常な環境となる。


しかしこの異常環境の線引きは、組織の上位者の考え方によって可能でもある。人材育成や能力開発に純粋に有効で論理的な命令はともかく、体育会系に一般的な命令には上位者の恣意がかなり多く含まれている。
場合によっては個人的な捌け口による命令・指令、懲罰が含まれる場合だってあろう。
これは体育会系を経験した多くの人に共通するものだろうし、それはかつての日本帝国陸軍を彷彿とさせる悪弊に似ている。


このような点について体育会系の上位者は殆どわきまえていない。それどころか必要であるとさえ言うだろう。私は体育会系と呼ばれる人たちが尊重する上下関係に賛同出来ないのはこうした部分だ。
はっきり言えば、体育会系の封建環境は上位の人間によって居心地が良いだけなのだ。
先輩風を吹かせて下位の者に意見を許さない環境にいる上位者は、本当に人を指導できる資格があると感じているのだろうか?


過日、小樽商科大学(北海道小樽市)で、飲酒したアメリカンフットボールの一年生部員が飲酒中毒で病院に搬送されたニュースがあった。毎年春になると大学の新入歓迎コンパで頻繁に起こる現象だ。特に体育会系部員の新入者の被害者は顕著である。
昔と違って酒を強制的に飲ませることへの社会的な規制が働き易い時代でもまだこんな不幸な事件が起きている。
そもそも学生の身分で上位に立っている連中はたかだか20才前後のハナタレ小僧の連中である。
上に立って下の者に対して権力を振るう事が一体どういう意味と責任を持つのかについてキチンと教育を受けた事もないだろう連中の仕業なのだ。
酒を強要して飲ませることで起こる事故や体調への配慮もできず、飲む事=忠誠心の証しだというような大時代的な現象が残念ながら世界的に現存し、その存在そのものを否定するものではないが、飲む事を忠誠心の証しだと強制されるのは飲めない相手にとって地獄であるという程度の感性は持って欲しい。その苦痛を超えられないと仲間として認めないという神経はどう考えても幼稚で異常だろう。

また大学時代、某大応援団と朝夕最寄りの駅遭遇する時代があった。20歳にもならないハナタレ小僧の先輩対して1歳も違わない下級生が100m先からでも先輩の姿を見た瞬間に大声で挨拶している光景をみて、なんと前近代的な人たちだろうと思っていた。
先輩と言われる人々も、その直前まで同じような挨拶を強いられていたはずで、先輩風を吹かして過去の気晴らしにもなっていたのだろう。連中の統制方法の幼稚さは先輩から受け継いだ伝統という何の論理的根拠もない方法を無批判に継続していることで証明されていると言ってもよい。
しかし社会に出てみれば1歳の年齢差なんて何の価値も意味ない。年上が必ず年下を凌駕出来る訳ではないのだ。実力と年功序列は全く別なのが社会の厳しい所だ。そういったリアリティーがない統制方法を是としている体育会系の人々は、ファンタジーの世界の住人のようにさえ見える。
新入生の死者や自殺者や精神的に傷つくような人間が出るような暴力的環境を平然と是としているような連中が伝える伝統というのは一体なんなのだろう?

ものの哀れを覚えてしまう、

 

体罰はこうした環境下で平然と起こる。愛情のある体罰を声高に言う人もいる。しかし桑田元投手が言うように受ける方は全く愛情何ぞ感じないというのが大多数だろう。反撃も出来ない一方的な圧迫環境下でスポーツが楽しいはずもない。よく近所の小学生の野球チームの練習を見ているが、指導しているおっさんたちは子供相手に何をあんなに怒鳴っているんだろうと思う。

スポーツを学ぶ環境は、あんなに怒号のする中でないと成立しないのだろうか?


世の中に殴らなきゃ分からないバカが存在しているのは事実である。しかしこと学校のスポーツ現場での体罰は、そもそも目的や意図が分からない。
高校野球だろうがバスケットの全国大会だろうが、あんなもん、所詮部活じゃねえかってことなのだ。
教育の一環であるはずの部活が勝ちを意識して高校の名前を高めようとする余り、こうした事を許して来たのだろう。

今回の大阪の事件で、スポーツの体罰や指導者の資質について相当論議が起こっているため指導方法について相当な転換を余議なくされるだろう。
でもそれで良かったと思う。いままでが異常過ぎたのだ。

プロ野球でさえ未だに監督が選手を平手打ちするらしいが、そもそも目上だからと言って社会人の大人を殴るというのが業務環境下で是とされていることもかなり異常だ。
会社だったら完全にパワハラと言われる時代だ。

体育会系の持つ根本的な良い部分を否定するつもりはないのだが、体育会系の持つ不要な悪癖はそろそろ終わりにすべき時代だと思う。

 

 

 


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ネットプロバイダー不要の時代を感じたスマホのリアル [徒然なるまま]

ネットプロバイダー不要の時代を感じたスマホのリアル

 

スマホを私が使い始めるということは、かなり一般的になってきたということだ。若い頃アーリーアダプターだった私は、初期製品が後発製品によって陳腐化する経験を何度も経て来たので、新製品に手を出さなくなった。ipadも他社から様々な類似製品が出る中で、更にアップデートした製品が出るため直ぐに陳腐化してしまう。発展途上の製品を楽しむという人も多いだろうが、私にはそんな金銭的な余裕のないので、一定程度成熟した段階で手を出す事にしている。
そのスマホも一定程度の市場になると製品も多く、サービスも多様になるためユーザーとし環境が整う。そんな2012年冬、auショップでXPERIAを買う。

スマホの本体って7万円もするんだね。分割払いだが、結構な家電製品買うのと同じじゃんって感じだった。

また、料金もLTEだとサービスが少なく、なんだかんだで月最低でも1万円かかるということが分かった。加えて無料通話がないので、通話は3021円が加算される。これには参った。
私はガラ系の時、月額約1万円程度の携帯使用だったので、通話料分が加算されてしまう訳だ。

しかし昨今の若い人は通信費にどれだけ金を使っているんだろう?と思う次第だ。私の頃の電話代はせいぜい3500円程度だった。

 

そしてスマホを買って約1カ月が経過した。

ゲームは全くやらなかった。アプリのダウンロードも殆どしなかった。だいたい電池が持たないので連続使用をする際、常に電池の残量が気になるのは、利用者として精神的に良くない。Ipadにしろ、モバイルパッドは電池容量と持続性が今後のカギかなと思っている。私の感覚値では、バイルパッドでゆっくり本を読むというような生活習慣が身につくにはもうしばらくかかりそうだと思う。
たいたい、出版界の邪魔に合って図書館がレンタル配信するような時代にはまずならないと思う。図書館好きの私にはモバイルパッドで本を読む根拠がますます無くなりそうな気配だ。
モバイルパッドだが、オフィス系のソフトが使える点が加味されれば、いずれPCの変わりになるだろうし、そうなったらノートPCの変わりになるだろう。

 

私のスナホの使用用途はネットへの接続がほとんど。Twitterfacebook、また外出時の調べごとだ。それでも業務に耐えるようなネット使用はスマホでは代替できない。先ほど触れたがスマホにしろモバイルパッドにしろ、業務に耐えるようなものに昇華しないと更なる普及は望めないだろう。

そういう意味では現代はPC、ノートブック、スマホ、ipadなどが混在し、過渡期といえる時代なのだろう。


ネットプロバイダーが不要の時代がそこまで来ているのはかなりのリアリティーを持って感じられた。だいたい私の家にはこの10年間、インターネットの回線を一度も引いたことがなく、スマホを買った事で久し振りに家庭の中でネットにつながる環境になったのだ。

(いままでどうしていたかというと、通常会社にはネット回線があるので、平日は殆ど不便がない。週末は必要ならネットカフェに行っていた。なければないなりに暮らせるものなのだ)

私にとってスマホってモバイルPC替わりなんだということが分かった。しかしWORDEXCELは使えないので、あくまでも私用簡易PCなのだ。
電話についてはスマホでは料金が気になってほとんどしなくなった。私のように50歳代の人間だと知り合い全員がスマホじゃないので、LINEなどの無料通話アプリを使用することはない。
若い方たちならもっと普及率が高いかもしれないが、無料通話アプリが一般化されるのは、スマホの普及が7割を超える位のボリュームがないと無料通話アプリは一般的な意味で使えないかもなあと感じている。

結局電話についてはWILLCOMを別途契約した。それまでの携帯電話の使用料の15%アップ程度で済むからだ。この程度なら他の経費をリストラすれば十分対応できる。

スマートフォンと言われているが、結局電話での使用には向かない代物になったようだ。

友人連中に聞いても、類似した使用方法が主だった。

しかしスマホの登場でネットプロバイダーが不要の時代になっていると感じた。この影響がこれからどのようになって行くのかは注視すべき案件だろう。

 

 


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日本でやれるのか? サラリーマンの40歳定年制 [徒然なるまま]

日本でやれるのか? サラリーマンの40歳定年制

このニュースを見た時、直ぐに頭に浮かんだのは、お隣の韓国のことだ。韓国は現在でも40歳定年制に近い雇用習慣がある。
韓国では一般企業に勤めると40代前半で幹部(通常は部長以上)になれない社員は順次退社してゆかざるを得ない社内空気になるのが韓国企業内の一般的な風景だ。
仮に40代後半から50代まで幹部以外の地位で会社に残ったとすると“極つぶし”と云われ相当肩身が狭い環境下になり多くは自然と退職への道を進む。

さて、韓国で退職した連中はどうなるのか? 元の会社の関係会社や取引先への天下りに成功すればかなりいい方だ。
退職後の人員を全て吸収できるほど韓国には受け皿がない。従って多くは自営業に転身する。
一般的なのは飲食店などだ。韓国料理屋店や屋台の類だ。韓国では大規模なリストラがあると屋台が増えると云われている。その屋台経営も5年以上継続出来るのは半分にも満たないという。これは大企業が飲食店のチェーン展開などをするため小規模経営を淘汰してしまう面も影響している。
そういう意味で、韓国はセカンドチャンスがほとんどない国だ。国民自身もそれを認めている。私の会社にいる韓国人スタッフでも、アカラサマに韓国に戻るのは嫌だと云い放つ人だっている。
韓国社会で一定の路線を外れると少数の例外を除いて非常に厳しい生活状況に陥ってしまう。そのためどうしても利己的にならざるを得ないという社会環境なので、日本人からすると事故評価や金銭面に粘着質で、相互的利益を考えない個人主義的な人材が多いと感じるが、背景にはこうした部分があると思っている。

よく韓国の人と仕事をすると、個人の不透明な金の動きに困惑させられることが多い。いわゆる横領や使い込みだ。これらもこうした社会情勢と無縁ではない。

仕事を通じて韓国の中小企業の役職者が多額の経費を個人用途に散在する姿を見たが、その多くが不動産や固定資産につぎ込んだり買ったりするケースだ。
韓国の企業の上層部のモラルハザードは目を覆うものが多いが、早期退職が一般的であるため、地位のある間に自分個人の経済地盤を固めて老後に備えようとする利己的な行動を伴い、社会環境を悪化させ、結果的に国家全体を脆弱にしてしまっている。アダム・スミスの言う利己的な見えざる手は、全体利益に貢献しないのだ。
もちろん日本だって彼らに負けないような詐欺師のような連中がいない訳じゃないし、韓国でも日本人の目から見ても真っ当な人は沢山いる。
しかし日本のように企業がある程度のレベルで従業員の将来設計を守ってくれるような雇用環境があるからこそ、日本人の多くのサラリーマンは大規模な横領をしない傾向が強く、将来設計を見据えられる代わりに会社への一定のロイヤリティーを持つ。
またこれらによって利己主義でなく相互主義を維持でき精神的余裕を持てる環境があるからだ。
しかし前述のような理由で韓国にはこうした余裕がほとんどないため、どうしても個人の生き残りを優先して横領や不正蓄財に走る心理状態を醸成してしまう。また横領を横領と思っていない人も多いから困る。

韓国ドラマが最初のブームを迎えた時、個人ブローカーのような連中が韓国の放送局との間に入り込み、ドラマが異常な高騰した時期があったが、それにはこうした連中があぶく銭を稼ぐために入り込んだからだ。
実際金以外に目的のない荼毘すべき連中だった。
また実現性のない企画を日本側に持ち込んで詐欺行為に及んだ連中もおり、私もそれの被害にあった事がある。
もちろんこうした被害にあった私の方にも、日本人的な感覚で人の紹介だからということで相手を信用するという無知さがあったからで、それ以後は随分と慎重になったので良い勉強になった。


さて、もし日本でサラリーマンの40歳定年制を敷いたらどうだろう。もちろん優秀な連中は問題ないだろう。40歳定年制で人材が流動性を持ち上手く行く部分があることは否定しない。しかし多くは普通の能力を持った人間ばかりなので、一般的には市場に人材が溢れ、企業側の方が被雇用者側より有利になり、実際は想定よりかなり社会的な混乱が起こるだろう。


早期定年となれば、個人個人の実績が自分の将来の価値を決めるため、会社への忠誠心や会社のために自分を犠牲にしようなんて思わないだろう。サラリーマンの中に勝ち組・負け組が今よりも顕在化し、中間層がさらに無くなり、結局のところ社会全体で見れば過度の競争は負の面を大きくさせるのではないかと思っている。

韓国の例を見ても、早期退職や老後の不安定さによる社会不安は、若い連中にも及び、成功のトラックに乗ったものだけがそれらしい生活を送れる社会になる危険性をサラリーマンの40歳定年制が孕んでいることは指摘しておきたい。
仮に政治による一定の配慮があればカオス化に歯止めをかけられる可能性はあるが、それでも終身雇用に比べて混乱度合いは大きくならざるを得ない。


サラリーマンで収入が増えるのは概ね35歳以降からだ。そのメリット享受し確立できる前に退職して自立となると、20代から30代前半で相当な給与をもらえるような会社で、尚且つ個人のキャリアアップがキチンと出来る職種で働かざるを得ない。そんな会社が日本にいくつもないのは誰でも分かるだろう。
当然会社内は個人主義的になり、組織としてはチーム形成が成り立ちにくく、知識の蓄積や情報の共有は個人社員への還元なしでは成立しない。
よくある外資系の社員環境のようになる訳だ。サラリーマンが全員傭兵化したら、日本のような“和をもって尊しとなす”という宗教にも似た観念にぼんやり覆われた我が国は崩れ去る可能性だってある。“和をもって尊しとなす”を否定する向きもあるが、功罪とりまとめても日本社会にはこの思想が1400年以上染みついている事実は否定できない。

現在のアメリカの社会で過度な競争社会と不平等とも言える財の配分の馴れの果てに起こっている事が何かを我々は毎日見ているではないか? 富の偏在に憤り、自由資本社会のアメリカ人の99%が持たざる者たちとしてWALL STREETを占拠した事件は記憶に新しい。
自由を標榜するアメリカ人ならこうした現実を素直に受け止めるのが国民の思想としては筋なのに、やはり過剰な富の偏在に怒りを表すではないか。
私は自分のこうした考え方が、意図せず社会主義的で、ともすれば共産主義的ではないか?と疑問を持つこともあった。

そんな中、ノーベル経済学者で世界銀行の上級副総裁を務めたJ・E・スティグリッツ氏が書いた「世界の99%を貧困にする経済」を読んで衝撃を受けた。
彼はアメリカの現状は完全な不平等社会であると称し、政治による富の再配分と適切なガバナンスを欠いていると断言したのだ。
私はアメリカ人の多くが自由を信奉し、特に共和党に多い個人主義が基本的概念の主流だと感じていたのだが、彼は社会の安定的形成には一定の再配分構造がなくてはならず、収入レベルと社会貢献の価値バランスを大きく欠く現在のアメリカ社会は早晩衰退すると言及しているのだ。

私は悪平等を決して良いとは思わない。人間は一定の努力貢献に基づいて報われるべきだ。生活保護費をもらったその足でパチンコに行って一攫千金を狙うような短絡的な連中の存在のために、他の大多数が汗を流すのを全く良しとも思わない。
あの大阪の生保護受給者の実態を見るにつけ憤る人も多いだろう。ああいった極端な連中はキチンと是正すべきとしても、限られた能力と資質で人材の多様性を維持するためには、一定程度の社会的保護と再配分がなければ社会が適切に成り立たなくなるのは、資本主義・社会主義の歴史的経過を辿っても明らかだと思っているのだが、アメリカ人ノーベル受賞者も同じような考えを持っていることに少なからず驚いた。
全員が自由主義の中で完全なる自立を前提で社会構造を組むのは机上の空論だということだ。
EU
が上手く行っていない最大の理由は、最初からEU域内の国家間の富の再配分について規定しなかったからだ。独立国家の集合体の富の再配分は、GNPの大きい国(つまりドイツ)に不利に決まっており、そういった点に専門家の連中は薄々気がついていたのだろうが、当初から統一を進める事を先行してしまったために、キチンと規定し国民に説明をしなかった事が一連の混乱の一因であるのは言うまでもない。

日本が1つの国家として成り立っている根本要因は、一定程度の割合で国家内に富を再循環させているに他ならない。

道州制を謳う政治家が多いが、結局富の偏在をミニマムにすることを前提にした制度設計をしない国家は1つの単位にならないし、国家としての力が発揮できない。
国家は地域差や個人の能力差を一定程度内に納め、ガバナンスが効く範囲で競争を促すような「差配」を政治によって調整できなければ存在出来ない。
アメリカは既にこの要件を満たさなくなっている。EUも同様だ。中国もそのレンジに入っており、この格差は不平等は縮小する気配がない。

さて40歳で定年を迎えて独立し、仮に65歳までの25年間までに更なるキャリアアップできる人間なんてサラリーマン人口の10%以下だろう。自分でも思うが、だいたいサラリーマンなんて自営・自立を出来るほどの特殊能力がないから総合力の一員としてやっている面もあるのだ。
日本にベンチャーが根付かないのはこうした背景もあるだろうが、サラリーマンの自立化を実現してもベンチャー設立に対して銀行融資などの金融面が追いつくかは甚だ疑問だ。

それ故日本で40歳の定年制を行ったら韓国のように無数の飲食店や路上販売者が乱立するんじゃなかろうか?と思う次第だ。
個人貯蓄で出来る事業なんぞはたかが知れており、銀行が貸してくれないのならなおさらだ。
韓国で退職者などによって無数の飲食店が増えるのは、短時間で事業収益からキャッシュを手に入れる方法がその位だからだ。
もちろん40歳の定年によるメリットを享受できる人材もいるにはいるだろう。しかし大半の人間は韓国を見てもわかるように平均以下の暮らしを強いられてしまう。

総論として40歳の定年制は日本人の社会には全く向いていないと思う。職の自由化・流動化という人もいるが、それにこうした構造変化に対応できる連中はごく少数派だろう。その変化に対応できない人材が溢れることで結果的に社会全体が落ち込む恐れもある。

日本人全員がイチローや桑田佳祐のような能力のある人間じゃないのだ。
そして仮にグローバル化への対応で、それを余議なくされるとすれば、日本人サラリーマンは就職時点からかなりの覚悟を必要とする人生を背負うだろう。若い間に家を買って建てて、車を買うなんていうプランも相当慎重にならざるを得ない。

韓国の受験戦争が日本の比じゃない理由はこうした面の反映だ。高級公務員や大企業のエリートにならないと本当にキツイ人生設計が待っているからだ。
果たして日本人はそういう国の国民になりたいのだろうか?


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2012年コンサートリスト [徒然なるまま]

2012年コンサートリスト

 

2012年は人生でも数多くのライブに行った年になった。2
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代にワーキングポアだった私にはとても行けなかった事が反動として蘇り、今頃になって急に行きたくなったようだ。

それ故2012年は自分で金を払ってでも見たいライブだけに資本投下した。その変わり、別の財布をギュッと締めた。
リストの中には年齢的に来日が最後になりそうなアーティストや昔見に行けなかったのでやっと見ることが出来たというアーティストもいる。また若干だが仕事絡みで見たものもあるが、圧倒的に数は少ない。

八神純子さんは今回が初めてで、都合3回も行ったが、衰えを知らない彼女の唄はその価値がある。
山下達郎さんはライブに行き始めてから早くも32年が経過した。若い頃から彼のライブだけは皆勤賞なのだが、思えば長い様な短いような時間だ。
原田真二さんは1979年の武道館以来だったので実に33年振りだった。

吉田拓郎さんは1979年の篠島アイランドコンサート以来だから同じく33年振り。
ユーミンは1991年の天国のドア・ツアー以来だから21年振りだった。
高中正義氏は、井上陽水氏と197912月に武道館で行ったクリスマスジョイントライブ以来で、ソロライブには行った事がなかったので、実は初めてだ。BSフジで放送されていたライブを見て行きたくなった感じだ。
Cindy Lauper
1989年の
A Night To Remember Tour横浜アリーナで見て以来だから23年振りだ。
東日本大震災時に渋谷でライブをやっていた彼女は、事の他3.11への想いが強い。

レニークラビッツは1992年の中野サンプラザの初来日以来だった。実に20年振りだ。

YES、ロジャーダルトリー、ASIA、マイケルマクドナルド、ボズスキャッグスは初めて見た。

由紀さおり&ピンクマルティーニはどうしても見たかったのでツアーをしてくれて助かった。

トレヴァーホーン&ロル・クレイムは心躍る組み合わせで楽しかった。80年~90年代を彩ったトレヴァーホーンやクレイムは憧れのプロデューサーだったので今回の来日を体験出来て本当に嬉しかった。

The Beach Boysも初めてだった。もう高齢者ミュージシャンだがパワフルで驚いた。

桑田さんは5年前のソロツアー以来だ。ガン手術を乗り越えた彼のステージは本当に素晴らしいの一言だった。

こうして見ると20-30年振りに見に行った人が結構多い。自分も50代になるとこんな時間軸なんだなあとちょっと驚く。


   114日 The Ventures     Sweet Basil六本木 

   114日 中シゲヲ他         下北沢440 

   29日  テデスキトラックスバンド  渋谷公会堂 8,500

   310日 Cindy Lauper   渋谷Bunkamura   11,500

   315日 東日本チャリティーライブ(原田真二他)  渋谷AX

   324日 K-POP Good Friends東京両国国技館

   325日 ソ・ジソブ ファンミ 東京両国国技館

   46日  山下達郎 Peformance2012-13 中野サンプラザ 8,000

   47日 レニークラビッツ  東京ドームシティ 9,000

   419日  YES  渋谷公会堂 9,000

   423日 ロジャーダルトリー(Ex.The Who)国際フォーラムA  10,000

   526日 八神純子 森のホール21(松戸) 5,500

   65日 2PM 横浜アリーナ 招待(8,500円)

   713日 井上陽水 国際フォーラムA  8,500

   721日 八神純子 土浦市民会館 5,500

   83日 原田真二 浜離宮ホール 6,500

   85日 トレヴァーホーン&ロル・クレイム Billboard Tokyo 10,000円 

   816日 The Beach Boys QVCロッテスタジアム 12,000

   925日 ASIA 渋谷公会堂  9,000

   106日 高中正義 日比谷野外音楽堂 7,000

21  1031日 由紀さおり&ピンクマルティーニ 渋谷Bunkamura  8,400

22  111日 ドナルドフェイゲン、マイケルマクドナルド、ボズスキャッグス 武道館 12,000

23 116日 吉田拓郎 NHKホール 9,000

24 1119日 八神純子 葛飾シンフォニーホール 6,000

25 1211日 松任谷由実&プロコロハルム 人見記念講堂 9,800

26 1230日 桑田佳佑 横浜アリーナ 8,500


 

2013年はここまで行けないと思います。とりあえず2013年6月(だっけ?)のヴァン・ヘイレンだけは行くのが決まっている。
 

 

 


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価格.COM経由で液晶テレビを買って思った事 [徒然なるまま]

価格.COM経由で液晶テレビを買って思った事          2012年12月28日

 

この冬7年ぶりに液晶テレビを買い替えた。HDDブルーレイレコーダーを買った事がキッカケだった。私の現在のテレビは2005年に買った37型のアクオスなのだが、当時24万円超の値段だった。ボーナスを叩いて買った訳だ。しかしHDDブルーレイレコーダーを買ってHDMI端子に接続するとテレビ側で認識しなかった。こういう事情に詳しい人間に色々な案を出してもらって試したが残念ながら新しいHDDブルーレイレコーダーはアクオスで見ることが不可能という結論に達した。

従ってまだ普通に使えるアクオスを諦めて液晶テレビを買う事にした。私は使い倒すタイプなので滅多に使える状態のものを手放す事はしない。従ってアクオスは春に引っ越しをする甥に無償提供することにした。2005年の亀山工場製造の製品は結構良く出来ているからまだ4-5年は使えるだろう。残念ながらHDMI端子は死んでいるが・・・。

しかし予想外の出費になるので、出来るだけ安く手に入れたいのが人間の心理だ。

価格.COMで調べると様々なタイプが様々な値段で出ていた。

私は目指す機種を絞り、ビックカメラに実機があるかを確認しに出かけてみた。

価格に大きな違いがなければビッグの方が目の前で確認して購入できるので安心だからだ。ポイント還元もある。

幸い実機を見る事が出来、なおかつ価格.COMとビックカメラの価格とも比較出来た。価格.COMの方 は40型で66千円程度(税込)だ。

私の目指す製品は価格.COMとビックカメラで16千円程度のかい離があった。ポイント還元もあるが、現状の支出幅はこのままだ。

しかし7年前、37型が24万円だったのに現在は40型で6万円台だ。大手電機各社がテレビ事業部の赤字に苦しんでいる実態を消費者になり、現実的に肌で感じるようになった。

そうした傾向を反映してか、躯体は以前に比べて安普請だ。テレビというより液晶パネルに足がついているような感じだ。
原価を下げるためパーツ類も以前より質を落としているようなので、私が買ったアクオスのような耐久性は現代のテレビには無いとも云われている。それでも私には十分だった。

私の助言者は、現代の液晶テレビは5年程度が耐久性の限界なので余り高額が液晶を買うと損した気分になりますよと云う。

私はテレビを通販で買った事がない。それ故製品が事故品だったり展示品だったり新古品だったりする可能性が否定できず、若干躊躇した。しかし消耗品だと割り切って価格.COMの店を利用することにした。

ネット上のユーザーの利用コメントがどこまで客観的で正確かも分からないが参考にはした。

注文し、金を振り込み、物が来た。

結果としては問題なかった。破損もなく、保証書もあった。躯体も店で見たとおりだった。今回価格.COMで利用した店には一定の信頼を置いてもいいのかもしれない。

 

日本はデフレである。30年余り前に300円だった吉野家の牛丼は未だに360円だ。液晶テレビは1/4の価格に下落。経済成長率を考えてもこの価格はちょっとおかしい。結局廻り回って世間は不況感に苛まれている。

消費者としては安いに越したことはない。しかし世の中が廻るための適正価格を下回ると真綿で首を絞めるように自分に降りかかってくるのが現実だ。金は天下の廻り物というが、本当にそういうことなのだろう。電機メーカーがテレビ事業で採算が取れない実態は私の購入価格を見れば一目瞭然だ。

今回テレビを買ってそんなことを考え感じた次第だ。

スマホの出現で、プロバイダーを経由せずとも簡単にネットにアクセスできるようになり、ipadのような液晶端末はまもなく現在のPCの役割をTAKE OVERするだろう。

スマホとipadのような液晶端末に境目はないので、使い勝手だけが境界線になるかもしれない。会社のPCはやがて全て液晶端末になるだろう。

私が次にテレビを買おうとする時代は、もはやテレビという概念がなくなり、液晶画面端末の一部機能としてテレビがあるみたいになっているのだろう。でかいipadがテレビであり端末であるわけだ。

もはや電機メーカーの領分を完全い越えてしまっており、今後の電機メーカーの経営戦略は全く白紙の発想が必要でありそうだ。

 


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Singer Song Writerと初音ミクの組み合わせで曲を書いてみた [徒然なるまま]

Singer Song Writerと初音ミクの組み合わせで曲を書いてみた

 

イッキに攻めちゃう! ~アジアドラマチックTVイメージソング

(ニコニコ動画)

http://www.nicovideo.jp/watch/sm19676783

 

 

ミク-4.jpg

 

音楽をPCで作った事のない方には退屈な記事ですので、まずご了承を。

またSinger Song Writerの機能的な問題の指摘において、私のSinger Song Writerや初音ミクのソフトの使用における単純な誤解や根本的な知識不足によって記載の指摘に誤りがある場合、皆様からご教授頂けると大変に助かります。

なんせ一々マニュアルを読むのが大嫌いなので・・・。(勝手な言い分)

ジョブスだって云う通り、優れたものは感覚的に使えるものなのだ。

 

 

私は現在某企業の普通の会社員なのだが、80年代中期~90年代初頭はシンセサイザーのプログラマーというヤクザな稼業で生きていた。

当時はローランドのMC-4というアナログシーケンサーで音符の入力プログラムをしていたが、やがてNEC-PC88PC98シリーズに対応したCome on Music社のシーケンスソフトが出現し、シーケンサーは格段に進歩した。その後、マックに対応したパフォーマーへと移行したが、私のンセサイザーのプログラマー人生は時代の流れの押されるようにこの辺りで一回終止符を打たれる。

 

あれから20年数年近く経ったある日、自分の現在の業務の中で曲を書いてプログラムして、音源を作ろうという企画が持ち上がる。殆ど予算もない中、昔とった杵柄で私がやることになり、周囲に相談して昔の私のやり方が通用するシーケンスソフトを選んでもらうとSinger Song Writerを推奨された。これは初音ミクとの相性の良さが理由でもあったが、昔のようなリアルタイムの演奏入力とステップ数値の編集が比較的容易に出来、尚且つHDDレコーディングが可能なものだった事に理由がある。

 

時代が随分と違うので、当初Singer Song Writerには四苦八苦する部分が多かった。それでもCome on Music社風のステップ入力もあり、これは助かった。また、MIDIデータを直接音声ファイルに変換できるというのはSinger Song Writerの利点だろう。Pro ToolsなどよりもPCへの負荷が少なく、今回書いた曲では音声トラックだけで50チャンネル程度を使用し、各チャンネルやグループフェーダーにイフェクターを絡ませたが、顕著な動作遅延は起きなかった。ただし、Pro Toolsなどと比べて音質やノイズ対策はプロ仕様とは決して言えない。それでもアマチュアにとってデスクトップPCでこれだけの作業が出来るソフトの存在は大きい。

 

Singer Song Writerは様々な機能を持っているために往時の私が使っていたようなシーケンスソフトとは概念や構造が違う。

同じ様な編集機能を異なったWINDOWが重複して持っているため、私には邪魔なWINDOWや機能が多かった。

音符の情報を編集するために全く別のWINDOWでも表示・編集できるというのは便利で効率的に見えるが、正直言って全く不要だ。

私個人としては1つの編集機能には1つのWINDOWが対応していた方が使いやすい。ステップ情報の編集可能なWINDOWが複数あっても利用価値がないからだ。

 

加えてこれは私の使い方の問題なので致し方ないのだが、作業効率を考えるとキーボードを主として利用した入力方法に集約した編集機能の方が使い易い。マウスを利用しないと使えなかったりする部分は私にとってイライラする感じがあった点だ。せめてステップ編集時に、挿入は“I”を押すことで挿入モードが利用できるなど、ショートカット機能を充実させてくれれば助かった。挿入の度のマウスで挿入モードを引き出して数値を入れるのは連続した作業を進める中では作業時間のロスとなる。

またHDD音声データを作った後、巻き戻しをしたり、早送りをした、録音したりする場合、一々マウスで指示作業しないといけないのも使い難い。こうした基本的な機能はキーボード上でコントロール出来た方が作業として効率が良いのだ。

 

これはSinger Song Writerの設計思想の問題なので改善可能かどうかが不明だが、一定程度MIDIでデータを作って、さらに追加でデータをダビングしたりしようすると、フレーズが小節単位で集約されない現象がある。

Singer Song Writerでは1小節を1920ステップと設定している。四分音符が480だ。当然1920ステップを1小節と区切った方が音楽的だ。
しかしデータは不連続なものとして扱われているため、データの拍数と譜面上の演奏の拍数が一致しない事が多々あった。

例えば、譜面上では4小節目の頭に音を入れているのだが、データ上では3小節目の3拍目のような所にデータが存在し、しかし一連の連続した総ステップ数では辻褄が合っているというような表示になるという事だ。

この非音楽的なデータの生成にはちょっと困惑した。

音楽ソフトは音楽的でないと使い難いというのは基本中の基本だろう。

また演奏MIDIデータ内に多数の“Rest”という休符を表すデータが音符データに混在する場合があるのだが、MIDIデータをキーボードなどからリアルタイムで入力していると、このRestデータが不要に多くなり情報が煩雑になる。Restデータを非表示に出来る方法があれば知りたいが、これは何とかならないものかと思う。

ミク-1.jpg

また特定のトラックの特定の音符だけをカット・コピー出来る機能が見当たらない。ドラムなどを打ち込む時、当初打ち込む時は、BD,SN,TOMなどはまとめて1つのトラックに打ち込む。その後、アレンジを細かくやり始めた段階で楽器ごとにトラックを分割しようとするのだが、特定のトラックの特定の音符をカット出来る機能がないので最初から別々に打ち込むことになる。

鍵盤の出るページで特定のキーだけをチョイスできるのかとトライしたが、出来なかった。これは80年代のCome on Music社のソフトでも出来た事なので現代では対応してもらいたい機能だ。

ミキサーのフェーダー情報だが、グリッドを指定してからマウスでフェーダーの線を動かすのだが、これも使いずらい。グリッドを指定したら、音量は数値入力させてもらえる方法を併用出来た方がストレスが少ない。おまけに画面の大きさによってフェーダーの動く量が変わるので、同じ数値に合わせようとすると四苦八苦するハメになる。



ミク-2.jpg 

 


またこれはバグなのかもしれないが、カーソルを移動している間にカーソルがフリーズして動かなくなる現象が多発。その後、音がLOOPして発信。その内PCもフリーズした。原因不明。

加えてMIDIデータ→音声ファイル化の過程で、MIDIデータにない音が録音されるケースも散見。また音声ファイルに原因不明の“ブーン”というノイズが乗るなど、プロのレコーディングスタジオで使用するには音響的な脆弱さがあるようだ。

シーケンス+HDDレコーダーは音楽制作ツールですから、マニュアルを全部読まなくても一定程度感覚的に使用できる設計が求められる。そういう意味では私の肌使用感覚とちょっと合わない部分があるが、これは慣れの問題もあるので合わせるしかないだろう。

ミク-3.jpg

(トラックネームが入れにくい。不要な情報が付加されるし、入らないテキストがある。トラック管理がしんどかった)

 

初音ミクのソフトとの連動(リワアイヤー機能)がついていて、当初はこの機能を使って作っていたが、動作環境が悪いので、現在は初音ミクのプログラムはSinger Song Writerと切り離して、テンポを同じにした状態でプログラムして、WAVEデータに変換したものを貼り付けて修正をかけている。ちょっと面倒だが、この方がサクサク動いて精神衛生上は良いと私は思っている。

初音ミクのソフトにおいては、動作アクションへのタイムラグが気になる。

プレイバックを押しても再生に時間がかかるし、PLAYREWINDFORWADをキーボード上で出来ないのもイライラする。しかしそれらを勘案しても初音ミクのソフトは、音楽制作の大衆化を加速させたという意味でも2000年代に入って生まれた画期的な発想のソフトだろう。

 

Singer Song Writer 9.0改善要望のまとめ)

→ヴァージョン10に反映されているといいなあ。

 

MIDIトラック内の特定のキー情報だけを削除したり、他のトラックへ移動させたりできる機能が欲しい。

 

◎外部からのマイクや楽器の録音時、指定トラックを録音モードにしてもインジケーターに入力信号が入った様子が表示されないため、当初は入力が壊れているのか、もしくは接続の問題かと誤解した。

ためしに録音を実施してみると波形が出てくるので結果的には録音できると分かったが、普通、ミキサーには信号が入れば入力インジケーターに表示されるので、その程度は見ることが出来ないと信号レベルを調節出来ない。こういう所に気が利いていない。

 

◎表示方法にもう少し工夫をしてほしい。ミキサー機能において、MIDIとオーディオミキサーは分離できるようにして欲しい。(両方見たい人は選択制)

 

◎イフェクトのコンプレッサーのある日から壊れたままです。

 

◎質問メールを送っても返答が来た事がない。

 

◎何度かカスタマーに症状改善メールを出しているが、回答が返って来た事が一度もない。

 

◎原因不明のノイズが乗る。機器から隔離して使っても症状は同じ。

 

MIDI入力のLOOPモードの使い方を改善して欲しい。もっと感覚的に設定できる方法があるはず。

 

PLAYREWINDFORWADRECなどはマウス操作でなく、キーボード操作を取り入れるべき。

 

MIDIデータ内に多数の“Rest”の出現は邪魔。MIDIデータは最小限の音符情報が基本となっていて欲しい。

 

◎MIXを作る際、フェーダの上げ下げをマウスで行うのだが、グリッドを指定したら数値を入力出来るようにしてほしい。マウスの上げ下げで決めるのはストレスが溜まる。

 

◎トラック名を入力すると不要なテキスト情報が加えられる。もしくは指定範囲のテキストしか入らない。トラック管理が困難になるので、自由度を高めて欲しい。

 

Vstiの音源をセーブする時、シーケンスデータと連動したファイルとしてセーブできているのかどうかが全く肌感覚として認識出来ない。

 

Vstiの音源のオルガンなんですが、上段のキーボードを使用する方法が未だに不明。マウスでは演奏できるのだが、MIDIではコントロールできない。

ミク-5.jpg

 

そんな感じです。


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そういえば昔、派遣労働者だったなあ、オレ [徒然なるまま]

 

1990年代前半。私は30代前半だった。
バブルの余波でCMの仕事が増えて給与も多少上がり、何となく順調に思えていた時期もあったが、それも2年程度で終息。
やがて仕事の数が激減し始める。
私がかつて生業にしていたのはシンセのプログラマーという仕事だった。ある意味で、この仕事も派遣労働者と云える。
この仕事はアレンジャーやミュージシャンから指名を受けてレコーディングスタジオで音色作成や音楽用のプログラムを書いてレコーディングに寄与する仕事だ。
しかしバブル崩壊後、私の実力のなさもおおいにあるのだが、仕事に先行きに限界を感じ、CM作家仕事や作・編曲仕事などに幅を広げ始めている時期でもあった。

私に限らず売れないミュージシャンの連中もバブルの後遺症に苛まれていた。
そんな中に出てきたのは通信カラオケバブルだった。当時のカラオケの主流はP社が開発したレーザーディスクを利用したカラオケだったが、MIDI(ミディ)という規格で音源に情報を送ってコントロールできる新しいタイプが出現し始めた。つまりMIDI規格で音楽情報を作る仕事が激増したのだ。
MIDI
と云うと一般には馴染みがないが、音符の情報を一定規格に基づいてPCが読めるように書き換える仕様をいう。
例えば、1小節の時間軸が「192」という数値に決めてあるので、四分音符は48と書くみたいな事だ。ここだけ読むと難しそうだが、既にこうした情報を音楽的な手法を利用して書き換えてくれる便利なソフトがあったので、ミュージシャンの連中やシンセのプログラマーには一般的だった。

 

通信カラオケバブルはそうした音楽業界の落ちこぼれ連中の食いぶちになった。
当時の心境を振り返えると、格下仕事(通信カラオケ業界の人には申し訳ないがそういう当時そういった気持ちがあったのは事実)をしてでも食いつながなければならない自分の不甲斐なさが未だに心の奥底に大きな染みを残している。
各社がMIDI音源を利用したカラオケシステムに移行する中、MIDI音源用のデータ制作者が不足し、バブル化し始める。
音楽業界で制作会社をやっているような所が次々と参入し、大手から受注を受け、人脈を駆使してMIDI音源用のデータ制作を始めたのだ。

フリーランスとは仕事がなければ無職同然だ。何もしなければ1円にもならない。従って私もスタジオ等のメイン業務がない時間にMIDI音源データ制作を始める。

私は個人的にいくつかの会社から受注していたのだが、だいたい1曲のデータを作って納品すると3-4万円程度だった。制作会社から連絡があると指定曲から選び、その音源のCDを借り、耳を使って楽曲に録音されている楽器演奏をMIDIデータに書き換えるというのが主な作業だ。譜面を渡されることはほとんどないので、コード進行、楽器構成、楽器演奏など耳を頼りに聞き分けてデータで再現するわけだ。早い連中だと1曲を2日程度で仕上げていたらしいが、こうした連中は演歌系を選んでいたらしい。演歌は生の弦楽器が入っていて複雑そうに思えるのだが、オーケストレーションには一定のパターンがあるので慣れた人なら解析が楽なのと、ダビングされている楽器がポップミュージックに比べて少ない事もあった。

いずれにしてもストレスの溜まる仕事だった。10曲程度やらないとサラリーマンの給与にもならない。しかし10曲も受注する枠がなかったのと、仮に10曲もやっていたら廃人になっていたかもしれない。私にはその位空しい業務だった。

ある日、友人からカラオケ業務をやっている会社で人を捜しているので会わないか?と連絡が来る。話を聞いてみると、パイオニアの子会社のQ社という会社が新しい通信カラオケシステムを作るため大量の音源が必要だが、そのデータを音楽的に確認する人間を募集しているという。
レコーディングの仕事がほとんど無くなっていた当時の私は比較的割のいい固定給にも魅了され受託する。そうなのだ。私は派遣社員になったのだ。
私がこの仕事を受託していたのは1994年の下期から19952月位までだったろう。

業務場所は乃木坂に近い赤坂にあるQ社内の仮設スタジオだ。防音されており、私と同じ会社から派遣されていた男性の二名で業務に対応。

実は私を含めた二名の派遣元の会社の社長は、過去に数曲のヒット曲を持った人物で、ギターリストでもある。いつもベルサーチを着込みポルシェに乗っていた。派手好きでそれを他人に強調したいようなタイプの人物だったのだろう。

彼は親分肌で面倒見の良い人物だった。ただ私は人間関係に距離を置きたがる人間だったので湿的な関係を求めがちの彼にとって付き合いづらい人間だったろうと思う。
もう一人の派遣男性は彼の舎弟のような関係だったので、彼を慕っており業務後毎日彼の事務所に行ってから帰宅していたようだが、私は週に1度か2度程度しか寄らないのでカワイイ奴に思われていなかったろう。
実を云うと私は社長の直下で働いていた男性のAが生理的に嫌いだったから行きたくなかっただけなのだが。

Q
社での仕事は本当に食うためだけだった。未来のキャリアに有用とか何とかは考える余裕もなかった。34歳まで自分なりに積み重ねてきたキャリアに陰りが出てきていた私は人生の路線変更を余儀なくされていたのだが、この時期は本当に辛い時代だった。
Q
社では毎日10時からスタジオでデータの検品をし、委託業者にコメントをしたり多少自分でデータを直したりして完成させたりする日々が続く。半年近くやっていて感動するほどよく出来ていたデータは数曲だった。ほとんどは素人に毛が生えた程度でも良い方で、中には音楽として成立していないデータも多かった。耳で聞き取って想像や技量でデータを構築するのは確かに難しい作業だが、能力にこれだけ差があるのは客観的に見ていても興味深かった。

1995
117日早朝、私は東芝EMIからCDとして発売される某歌手の楽曲のアレンジ仕事を築地のスタジオで終える。私のキャリアではメジャーレーベルからの発売されるCDのアレンジ仕事はこれが最後となっている。
徹夜でレコーディングを終え、朝日を浴びながらの帰宅の途上、NHKのラジオから神戸地方で地震があったと伝えていた。そう、阪神淡路大震災だ。
当時のラジオの口調は大地震のような感じに受け取れなかった。私は自宅に帰ってシャワーを浴びてQ社に出勤するまでの数時間の仮眠をする。

寝ていた私を起こしたのは自宅の電話だ。受話器を取ると相手は英語で捲し立てている。そう、私のかつての同居人がロスから電話をしてきたのだった。

“高速道路がひっくり返っている、東京は大丈夫か?”

何を云っているのか理解できず、テレビをつけてみると、後に代表的な映像となる高速道路倒壊の状況が目に飛び込んで来た。
私が大震災を実感したのはこの時だった。
その日はQ社に行っても仕事に全く身が入らなかった。道の反対側の電気屋に置かれているテレビを見ると犠牲者の数が分単位で増加している。その日の夕方には公式死者数のが3,000人を超えていた。この日はそういう日だった。

Q
社は当面の楽曲を15,000曲程度と設定していたが、検品の質が低いために作業が遅延して目標に届かない恐れが出て来た。そして1月中旬以降からは検品精度を落としても楽曲数の達成をしたいという通達があり、それに従う。そのため初期に作られた楽曲のかなりの数は出来としは素人作業がそのまま流通している。

1995
2月末でQ社の作業は終わったと記憶している。その後ベルサーチ氏からもらうカラオケ関係の仕事をしていたのだが、納品データの出来で男性のAとの間で意見が合わず、疎遠になり始めていた。それでも面倒見の良いベルサーチ氏は私に対して自身が計画しているレコーディングスタジオのシンセプログラマーを担ってほしいなどの別の案を提示してくれていた。
結果的に私は第二の派遣業務を請け負う事になった。YAMAHA浜松工場に行ってシンセ開発部で行っている新作機器のバグ出しだ。かつての同僚もここで仕事をしていた記憶がある。
私は東京に住んでいるので平日の5日間、浜松のホテル住まいをし、YAMAHA浜松工場に通うという生活を始めた。交通費・宿泊費は別途出る。
我ながら落ちる所まで落ちた感があり心の奥底では悲哀が漂っていた。ドサ廻りの演歌歌手ってこんな感じかもしれない。
工場の近所のワシントンホテルからYAMAHA浜松工場に830分までに行き、17時まで決められた部屋に12人ほどが押し込められ、1日中、様々な方法でシンセを操作しバグを出すことばかりやっていた。ここに来ていた連中はそれぞれに事情を抱えていた。それぞれが全て腹の中を晒していた訳ではないが、それぞれに痛みを持つ人間ばかりに思えた。
ある意味夢破れた系の落ち零れの集団の中に私は仲間入りしていた。

人生で工場勤務は初めてだった。12時になるとサイレンがなり、工場内の食堂に溢れんばかりの人が集まり同じような食事をする。同じ制服を着ている集団は圧倒的だが異様とも云えた。そして17時にサイレンが鳴り全員退社。
私はチャップリン映画の“モダン・タイムス”を思い出した。物作りの現場の殺伐とした一面を見た気がして私は随分と遠い世界に来てしまったことに茫然としていた。

17
時を過ぎると時間通りに退社。ホテルの途中にある弁当屋で弁当を買って帰って部屋でテレビを見ながら夕食というのが日常化した。
そんな自分の未来に漠然とした不安があったのは云うまでもない。
ある日、オリックスと西武戦がホテルのテレビで放映されていた。しばらくして何気なくホテルのロビーに降りるとそこは試合直後のオリックスの選手で一杯だった。私は部屋に戻るためエレベーターに乗ったのだが、そこに選手が入ってきた。その中にイチロー選手がいた。華奢に見えたが紛れもなくスターの貫録だった。

当時の1か月のギャラは40万円だった。悪くなかった。
しかし食うためだけにやっていたとは言え、余りにも遣り甲斐のない仕事だったこともありたった2カ月やってこの派遣業務を断った。
ベルサーチ氏から今後の仕事は直接YAMAHAと契約して欲しいと云われた事も辞めるキッカケの1つだった。

ベルサーチ氏も私も互いにそろそろという時期だったということだ。

そのため5月・6月と仕事が全く無かった。35歳にもなってこんなザマかよと本当に辛い時期だった。自分の人生の積み上げの失敗を呪ったものだ。
6
月は遂にやることがなくてお歳暮のバイトを始めた。1か月やって20万円にもならなかった。
しかし宅配の業務の大変さと凄さを実感できて彼らへの見る目が変わった。今でも宅配の方々には尊敬の念で荷物を受け取っている。

1995
8月、私は人脈のお陰で某大手芸能プロダクションにマネージャー業務をするために入社する。契約社員だったが、それまでの知識、経験を生かせる場所だった。私は安堵感に満たされその後4年をこの会社で過ごす。

私は現在正社員として全く違う分野である某社に勤務している。40歳を過ぎて正社員になり役職も就いた自分に驚いてもいる。
現在の自分の部署に派遣社員も抱えている。しかし私個人は派遣という制度が大嫌いだ。自分の経験を踏まえても、本来派遣待遇で良いという人は少数派だろう。
正社員の自分と比較しても待遇は天と地ほど違う。ボーナス、社会保障、健康保険など言い出したら切りがない。正社員が身分化していると指摘する人がいるが、ある意味それは正しいと感じている。

派遣社員制度は企業に都合がいい。人的コスト削減に最大の効果がある。その効果の反対側にいるのは派遣社員たちだ。
企業が労働者をコストと考えているだろうが、本来は誤りだ。そういう側面が無いとは云わないが本来的な社会思想としては誤りだ。
そういう事を是とする社会構造はいずれツケを払わされる。
効率の先にある非効率を無視すれば、想像を超える不利益に遭遇するだろう。

私は自分自身が派遣労働者を経験し、また雇用する立場になり、世の中の歪に胸が痛くなり、また焦燥感に苛まれるのだ。


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法務部の所作で分かる仕事の出来ない法務社員の有無 [徒然なるまま]

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他社と契約を交わしているとその会社の人材の力量や考え方が伝わる気がする。中にはこちらが心配な位にシンプルな契約書もあれば、シンプルだが、実用的で要点をしっかり押さえたものもあり勉強になる。また大した内容でもないのに信じられないような複線を張り巡らした契約書にも出会う。
ウチの法務部ではないのだが、過去に締結済みの契約書の案件部分だけを差し変えて同じ条件で締結する時に、意気揚々と修正を入れて悦に入る馬鹿法務社員も出会ったこともあった。
多分その人は、かなり仕事が暇だったのだろう。

前回と契約条件が同じで案件だけが変わり、過去に法務部が了とした契約書に改めて修正を入れる根拠を担当者に正すと案件が変わったからだと嘯く。
こういう法務部の担当者は、自分が関所に立っているだけじゃ満足できなくて、何かをやらないと気が済まないお馬鹿役人と同じ発想の連中なのだ。
エネルギーを使う場所を完全に履き違えていることに気がつかない。
私の田舎ではこういう連中を“利口バカ”と呼んでいる。

全く同じ契約条件で案件内容だけが違うなら、記述ミス等のチェックをすればそれで終わりだ。
WORDなら文書比較機能がついているので数分で終わる作業だ。それに不要な修正を入れたがる法務部の担当者は、自分の仕事の指紋を残さないと気が済まないのだろうが、こういう無駄な行為をする奴を社会では仕事の出来ない奴という。

また他社から来たひな形に全部赤い墨を入れて、ほとんどすべて書き換えて送り返すようなツワモノもいたが、こうしう失礼な事をしても、自分は正しい仕事をしているのだと勘違いしているような社会性のない人材がいたりする。こうなると法務部とか事業部とかの問題ではなく、社会人としての適性に疑問がある。ちなみにその人間は退社した。

会社にもよるが法務部は様々な案件を大量に処理している。そういう意味では、重要案件こそエネルギーを注ぐべきで、同じような契約案件は内容に齟齬のない限り事務的に済ませないと仕事の処理が追いつかない。
こういう輩は仕事の重要度に順番を付けられないのだろう。上司の教育程度が分かるというものだ。

 日本の契約書は特にアメリカと比べると薄くて内容もシンプルだ。アメリカ人には信じられないだろうが、日本の契約書には契約書で取り決めていない事項については誠心誠意相方で話し合い解決をするという精神条項がある。
契約書の趣旨からすると精神条項は無意味である。そういう事態を回避するために契約書を交わすからだ。
それ故アメリカの契約書は、守るべき条件を相方すべて書きつくすために分厚くなり、複線も多いため弁護士の介在が必要となる。
それはそれで彼らの社会では正しい方法なのだろうが、複雑な契約文面を延々と書かないと双方納得できない社会の在り方も考えものだ。

それ故、日本国内の企業や個人ではアメリカ型の契約書が馴染まない場合が多い。アメリカ型か日本型の善し悪しの是非はともかく、国内で利用する契約書は最低限度の合意事項の記載で概ね業務に支障がない。
もちろん全部の条件を仔細に書ける相手なら書きつくすのも良いと思う。
しかしそうした方法に馴染んでいない相手が多い日本の場合、どうしても曖昧さを残した契約書になる。そのため努力・精神条項が含まれるが、こうした条項の実効性は全くないのが本来の契約書の世界だ。海外との契約ではこうした曖昧さは命取りになる場合もあり、こうしたリスクヘッジこそは法務部の腕の見せ所なのだ。

法務部にいる人間は、曖昧さを嫌う。それは彼らの業務指向性だから致し方ない。そのため日常は使わない言葉を延々と繰り出す。
契約書は書き留めた文書だけが頼りの綱の世界であるため、リスクヘッジとして自分側に不利にならないよう文章を徹底的に極めておくのは絶対必要な事であることは疑いない。しかしその方法論に相手先への敵愾心を入れ込む輩が居る場合は論外だ。

しかし法務部にいる人間で仕事の出来ない奴に多いのは、簡単な内容をことさらに複雑に記載する奴、もしくは条項間に渡る複線を山ほど張って相手を煙に巻くような契約書を作る輩だ。
どうしても契約書をやっていると相手より有利になろうとする心理が働くため、条項間に言葉の地雷を仕掛けようとする奴がいる。
素直な文章や簡単な構造にすると法務社員としてバカにされそうだと勘違いしているのだろう。実は簡単で構造で効果的な文章によって契約書を構成する事ほど高い能力が必要なのだが、それに気がつかない人間が如何に多いか。
美的な契約書は論理的で理路整然としており、シンプルで効果的だ。
過度に複雑で、不要に解釈を困難にさせる要素を持ち込むのは、契約書の本来趣旨ではなかろう。
実はこの契約書は、本当こうやって読む内容なんですよ・・という契約書面は、実に人を馬鹿にした行為だと思われませんか?
それともそれを読み下せない方の能力不足を嘲笑いますか?

法律用語は、民法や刑法に限らず未だに明治以来の成立文章を採用しているため、法律関係者が繰り出す文章は、非日常的であっても良く、それを読み解けるのは一部の人間に限られているから価値があるのだという幻想がある。
契約書において、独特な表現が存在し、最低限の引用が必要であることは否定しないが、本来は、誤解釈を避けられる範囲で平易文であるべきだ。契約書はだいたいにおいて、日常の中に普通に存在するもので、弁護士や特定の職種の人種のために存在している物じゃない。

これは法律関係の文章を扱う法務部の人間の根底には、自分たちが他の人間に比べた頭脳構造について優位性があると勘違いしており、誤ったエリート意識が根底にあるのだろうとかと推察してしまう。
それ故自分がどれだけ難しい文章と構図を読み解けるかという点で競争し始めるため、簡単な事をことさらに複雑化することに快感を持ち、エネルギーを注ぐのだろう。

それ故、多数条項間に言葉の複線を張り巡らして、各条項間を繋いで読み解さないと1つの解釈に到達出来ないようなタイプの契約書を作ったりする輩が出て、仕舞いには自分の作品の如く誤解し始める。
こういう仕掛けを張り巡らせた契約書を作る法務部の人間は、自己満足と達成感で一杯になるだろう。しかしこういう人間に限って、数年後にその契約書を読んだ時に、自分で作った罠にさえも気がつかなくなってしまう輩なのだ。

取引上の業務として契約書を担当している現場の人間はかなり多いだろうが、取引先をワナに嵌めることを是とするような法務部担当者を持つ会社とは付き合わない方が無難だ。
契約書は相手を嵌めるために作るのが目的ではなく、同意事項をお互いに履行するための一定の根拠として文章化するのが目的だからだ。

自社の法務部で複雑な文章の罠を作って悦に入っている社員がいたら直ぐ配置変をすべきだろう。またそれを認めている上司がいたら、その人間も同罪だ。

こういう人材を法務部に抱えると、社内の法務部担当者相手に契約作業を進める上でもめる事が多くなる。上記のような誤った指向で契約書を作ろうとする人間がいるために他ならない。それは会社の業務を円滑に進める上でリスクになるし、無駄でもある。
また契約書の文言を自分の琴線に触れるまで変える馬鹿もさっさと配置転換した方がいい。

先ほども述べたが、契約書は文学作品じゃないのだ。

新しい取引先との間で他社と同様の内容の契約書を作る際、他社間で締結済みの契約書をひな型にして書き換えようとしたら大騒ぎした法務担当者がいた。
法務部担当者は新規の会社との間ではオリジナルの内容で作るべきだと主張するのである。また契約書の流用行為は守秘義務に違反するともいう。何となく一理はありそうだが本当にそうだろうか?

例えば、音楽業界なんかでは、アーティストのレコード契約や出版契約を締結する際、過去に他社間で締結したひな型を流用させ、金銭面と特記事項だけを書き換えることが多い。出版契約であれば業界での統一的なひな形すらある。
しかし考えてみればこれは当たり前なのだ。
契約趣旨や構造がほとんど同じだからだ。
そのためこの業界ではアーティスト別に一から新たな契約書を書く起こす奴なんていない。
こうした契約書で一番のポイントは金銭面や待遇面であり、それに付帯する特記事項だけが契約書の最大のポイントだ。
それ故他の部分が全く同じでも契約書上は特に問題ないし、流用は守秘義務にも違反しない。これを守秘義務違反と言ったら、不動産の賃貸契約なんて全部主義義務違反になってしまう。

騒ぎ出した法務担当者の気持ちは理解できないでもないが、実務面では全く無意味な反抗なのだ。そもそも守秘義務があるので、その契約書が他の契約書をひな型にして作った事なんぞは担当以外知りようがない。もちろん相手がひな型となった契約先の会社と同じような内容で別の案件の締結している可能性が排除できない場合は別だが、そうしたリスクを排除できれば締結済みの契約書をひな型にして書き換えることは実務上、何の問題もない。


日本では法廷闘争になった時、訴訟活動を担保出来る最低限度の記載があれば日本の契約書は概ね実効性を持つ。仔細微細の話になれば、いずれにしても法廷闘争になって決着を必要とするのは古今東西変わらない。昔、ソニーミュージックが鈴木あみとの間で法廷闘争になったが、あの論争部分を契約書当初に書いて果たして鈴木あみ側が理解した上でサインしたかどうかは怪しいものである。ソニーミュージックは業界内でもかなり厳しい契約書を作るので有名だがそれでもこうした事態は起こる時は起こるのだ。

国内での契約の際、リスクヘッジと称して聞いたこともないような言葉を延々と紡ぎ出す契約書面を作る輩がいるが、そもそもそこまでしなければ契約出来ないような相手とは最初から取引しない方がましだ。
それでも取引を必要とするならば、どんな契約書を作ろうが、トラブルは避けられない可能性があることを肝に銘じておくべきだろう。

本当は契約書なんて作らなくてもキチンと取引出来る相手が一番良いのだ。
結局日本は、取引相手との間で。延々とトラブル続きだった西洋文明の影響で仔細微細な記載のある契約書を残すという方法を編み出し、最初に決めたら書面通りに守るという彼らのやり方に毒され過ぎなだけなのだ。

契約書を交わしたって逃げちゃい奴は逃げちゃうし、法廷闘争まで争って得られる対価は、その過程で失うものより大きい場合だってある。

そのため契約書にかける時間とエネルギーが、何を目的にし、何を得ようとしているのは、もう少し俯瞰して見る必要があるのではなかろうか?

最後に一言。契約書には著作権がありません。

以上。


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