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子離れできないヘリコプター・ペアレントが社会危機を誘う [徒然なるまま]

昨今は就職活動に親が関与する事例が多いと聞く。Yahooニュースによると親が子どもの代わりにプレエントリーを勝手に済ませたり、子どもに確認せずに会社説明会を予約することもあるという。なかには、合同説明会に同行する親もいるという話まで聞くとちょっと首をかしげてしまう。

ところで、私には子供がいない。だから語る資格がないと言われるかもしれない。しかし、子供の自立には親離れが確実に必要だと自信を持って言える。

私は東京で独り暮らしをするまでは親への甘えを自覚することが全く無かった。親元を離れ独り暮らしをすると生活面の様々な部分で自立を要求される。また大学を卒業し、社会人になり仕送りが無くなり、仕事を自分で決め、自分の仕事で得られる収入範囲で生活をし、人生そのものを自分で運営しなければならなくなることで自立は深まる。

特に人生で起こる諸問題の解決は、生活と直結するため真剣になるし、判断力、忍耐力が自然とつくようになる。

実は私の下の甥A君は某大学を卒業し、社会人1年を経た今年になって東京から実家に戻る決断をした。彼は結構良い大学を出ている。私よりも偏差値的には頭がいい。
就職活動はしていたようだが30社程度を受けて結果的にだめだったようだ。本来はミュージシャンになりたいという希望があって、社会人になってからはフリーターをやりながら自分で作品をまとめDVDを作って世に問うた。
製作費の30万円はバイトで稼いで貯めたらしい。ここまでは実に立派である。

しかし結局日常の生活を維持する金に困り果ててしまう結果となった。彼の兄に聞くとアパート代や生活費などを不定期に母親から援助してもらっていたらしい。それでも生活設計がままならなかったことになる。DVDは2000枚程度が不良在庫になって帰省時に破棄したようだ。いい勉強になっただろう。

こうした経緯を見ていると、社会人としてのA君の決定的な問題点が分かる。物事の優先順位をつけられないのと、自分の生活を自分自身で管理・運営出来ない点だ。

人間腹が減ると先に解決するのは腹を満たすことだ。食欲、性欲、睡眠欲と人間の3大欲の中で食欲と睡眠欲は贖えない。

現代においては戦後のように本当の意味で腹が減る事は稀だ。それでも毎日のオマンマを不断に食べるため人間は働いて対価を得ようとする。
社会人にとって仕事をしなければならない最大に理由はここにある。これは人間が猿人の時代から不偏の法則だ。

しかしオマンマの対価を誰かが補てんして腹を満たしてくれるようになると、人間は他の要素に目が向く。
A君のように自分の夢を叶える方向へエネルギーが向けられるようになるわけだ。
非生産者が非生産的活動を延々とすれば、社会にとっての損失は図りしれない。
A君が桑田さんのようなビッグアーティストになればいずれ社会的負債も解消されるかもしれないが、残念ながら音楽業界で20年メシを食って来た私の目から見ても、バットにボールが当たってホームランになるのはかなり難しいと言わざるを得ない。

結局のところ、自立的に生活設計すらできない大馬鹿野郎を1人生む可能性が大きくなってしまったのだ。
実家への帰還も母親の勧めらしい。そうなるとA君は自分の頭で何も考えず人生を歩んでいることになる。25歳にもなってこれではホトホト心もとない。

パラサイトが変身して社会に良い影響を及ぼすような人間になる可能性を否定はしないが、確率面だけで例えれば殆どゼロである。 ゼロでない限り可能性の追求を了とする考え方もあるし、私のように可能性を残しながらも対応方法を考えるべきだという人間もいる。
いずれにしても、結構な偏差値の大学を出ている人間でも社会に出て自立出来ないのは、親の過剰な干渉が1つの原因だと思わざるを得ない。こんな連中が増殖したら日本社会は底辺の力を失うだろう。

親として子供の苦労を見過ごすのはかなり胆力のいることだろうと思う。私の親も、私が安定した仕事を得るようになってから、どれほどまでに心配をし、子の動向を我慢し続けたか泣きながら語ってくれたことがあった。

しかし私は親が我慢をして干渉しれくれなかった事に本当に感謝している。

私は自分の夢を叶えるために仕事面で非常に苦労をして、収入もままならない時期を何度も経験したことがあった。
しかし苦しくても親を頼るのは犯罪を犯しそうなほど追いつめられた時だけと決めていた。それは親からも言われていた。最後の防波堤があることは心の支えになったが、そこに頼るのは本当に最後の最後という覚悟があった。

幸いそういう事態にまではならず、なんとか自分の裁量で問題解決し、今日まで生きる事が出来た。正直かなり辛い時期もあったが、あの苦労を乗り越えられた事は自分の人生の糧になっている。

「かわいい子には旅をさせよ」という格言があるが、まさにその通りである。

親が子供に手を貸すのは容易い解決方法だ。しかし見守って転びながらも自分で立ち上がる子供を育てて社会に出す事が本来の親の義務だと思う。そういう人間の集積がやがて国家を強くしてゆくと信じている。

安易な助けは結局のところ社会にとってもマイナスなのだ。

確かに現代の就職活動はかつてないほど厳しい。私の時代とも全く違う様相だ。それでもあと40年も50年も生きてゆかなければならない今の若者たちには、時代時代の苦難を乗り越える力を持ってもらわなければならない。親はいずれ死んで行く。助けはいずれ無くなるのだ。
それなら助けは早めに無くなった方がいい。それ故社会のためにも親の子離れは早い方が良い。
腹の減った事を経験した事がない奴にロクな奴はいないという事を云った人もいる。戦後の腹の減り方と今では違うだろうが、一理はあると思う。

モンスターペアレンツなる造語の出現もこうした傾向から出た現象だろう。公立学校に対してそれぞれの親が子供の意思を超えて個別の要求を実現させようとしたシワ寄せだと思う。
何十人もの生徒を1名の教員で抱え、カスタムメイドのサービスを次々と要求し、その実現が当たり前だと考えている親の方が居たとしたら、かなりの問題があるんじゃなかろうか?と勘ぐらざるを得ない。
私が子供の頃はそんな変な親は見たことがない。

それぞれ不満もあったのだろうが、一定範囲内にそれぞれが納めて暮らしていたのだと思う。
何故この時代になって顕著になったのか良く考えてみた方がいいだろう。豊かになり、腹が減らず、自分の周辺だけをことさら小奇麗にすればいいような風潮になったことに遠因がありそうだ。
もちろん公立学校の教員の質の問題だってある。
事は一面的ではないので、それぞれが自分たちを律して対応し、調整するしかないのは自明の理だろう。

私の意見には多くの反論もあるだろうが、私は早期の親離れが本人、ひいては社会のためだと信じている。パラサイトから


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