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私はワーキングプアだった!? [徒然なるまま]

1982部屋.jpg
1982年当時の6畳ひと間の自宅
結構小奇麗に暮らしていたもんだ。

 


連合・連合総研の2012年の共同研究によるワーキングプアの定義は「単身世帯で年収200万円以下、複数人世帯で年収300万円」と定めており、「単身世帯で年収200300万円、複数人世帯で年収300400万円」を予備軍としている。ただし高齢者で年金生活者は除外されている。

ところで1982年に大学を卒業し社会人になった際の私の月給は額面で10万円、年収で130万円程度だった。だが翌年から転職してミュージシャンのボーヤを家業としたため月給が7万円になり年収は額面で84万円になった。
当時の大卒額面初任給は127,200円で年収ベース(ボーナス2カ月を含む)1,778,000円だ。1984年当時の私の年収と比較すると大卒平均の47%程度であることが分かる。

これを現代に当てはめれば、大卒の額面初任給は203,362円で、年収ベース(ボーナス2カ月を含む)2,847,068円で、ボーヤ家業をやっていたとして換算すると1,338,122円だ。

当時にしても現代にして完全なワーキングプアだ。

そうか・・、私はワーキングプアだったのだ。全く知らなかった。

では当時の私の暮らしぶりはどんな感じだったのか?

確かに苦しかった。当時の私の生活感は大学時代と全く同じだったので、自分が貧困層だという認識そのものが無かった。部屋には風呂が無かったし電話も無かった。機材のローン約8,000円も毎月キチンと支払っていた。但し貯金は殆ど出来なかったが、それでも毎月何とか数千円を残していた。

当時の私の仕事場は、六本木のレコーディングスタジオが多かったので、食事には本当に困った。当時はコンビニも無く、ファーストフード店も殆どない時代だったので、店屋物か弁当を作って持参するかのどちらかだ。しかし店屋物は六本木という立地のため私の財布では毎食を対応できず、弁当にするか、食べないで我慢するかを強いられた。弁当も夏場になると夜まで持たず捨てたこともあった。ミュージシャンたちは1200円もする弁当を夕食で食べていて、彼等にお茶を出す私に目には本当に毒だった。
1本100円の缶コーヒーを買うのも決死の覚悟というのが本音だった。

それでも何故か悲観的な生活ではなかった。音楽業界に憧れていた事もあり、テンションが高かったのだろう。結局26歳くらいになるまで私はワーキングプアのままだった。

26歳から同じ業界内で職場が変わり、アルバイトながら深夜勤務の手当てがつくようなったことで月額18万円程度になり、年収レベルで当時の新卒と同等になりワーキングプアから解放された。それによって貯蓄額が上がり、引っ越しも出来、27歳になって初めて風呂付の家に住めるようになる。ちなみにエアコンはない。
それでも私の年収は年齢に比べて非常に低かったと言える。しかし以前に比べて倍以上になったことで収入の低さを気にした事がなく、自分の望んだ音楽業界で仕事が出来ていることだけでも十分満足していた。
 
私はワーキングプアだった20代中盤の時でさえも生活費を借金した事がない。生活費は一度借金してしまうと相当な収入改善でもないと返済不能に陥るからだ。
よく、給料日前になると金がないと困っている友人を見かけたが、私にはそれ自体が理解出来なかった。決まった給与なので1日当たり使用できる金額は自ずと限度があり、給料日に金持ちで給与支給前に貧乏になる訳がないのだ。
借金でボーナス返済をしている人もいたが、将来の収入を無駄な支出で先食いしているだけなので、余り賢いとは思えない。

自分が50
歳を過ぎて当時の自身の生き方が正しかったかどうかは分からない。しかし自分のやりたい世界で働くという点は実現でき、結局音楽業界には20年近くいた。
収入面では随分と損をしたと思っている。
また夢の一部は実現し、一部は実現しなかった。
今は別の業界でサラリーマンになって給与も人並みだ。
45歳で正社員になれたのはある意味奇跡に近いと思う。ちんまりとリーマンをやっていれているのも、かつて自分のやりたい世界で生きて自分の限界を知った事があるからかもしれない。

ただ、このキャリア形成は他人には進められない。私の周囲にも40歳で不安定なアルバイトをして生活している人間がいる。今後50歳に近付くと彼も相当苦労するだろう。
また私の24歳の甥も夢を追いかけてフリーター生活だが、私は彼に人生を説教する資格などない。

人生設計って本当に難しいもんだと思う。シャープの社員だって会社があんなに傾くなんて想像だにしなかっただろう。
ワーキングプアという言葉が独り歩きして、この年収以下は不幸せだ!という切り方は余り良くないと思う。人生は人それぞれだからだ。
しかし子供を養育する立場の人の低収入は本当に深刻だと思う。子供の教育が金銭によって左右されるのは、国として何とか税金で補うべきものだろう思う。

今後自分にだって何が起こるか分からない。出来れば死ぬ時に“そんなに俺の人生悪くなかったじゃん”って思えたらかなり幸せな方なのだろう。出来ればそうであって欲しいとひたすら今日を生きる。人生はやっぱりThe Long and winding Roadなんだよね。


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