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日本人の英会話神話 [徒然なるまま]

日本人の英会話神話

 

自民党の教育再生実行本部(遠藤利明本部長)がまとめた、国際社会で活躍できる人材の育成を目指す教育改革の第1次提言案で英語検定試験「TOEFL」で一定以上の点数を取ることを全大学の受験・卒業の条件とすることなどを盛り込んだという記事があった。
確かに国際社会で活躍できる人材の育成するなであれば英会話は必須条件だ。しかし英会話はあくまでもツールであって十分条件じゃない。

上記の提言とはちょっと外れる話だが、私個人は日本の英語教育に非常な不満がある。そもそも中高で6年も時間を費やして一言もしゃべれない教育をされたのは人生においても非常に時間の無駄だった。
私は仕事の環境の問題で英会話の必要性に気付き26歳から独学した。学生時代は英語が出来なくて嫌いな科目だったが、NHKのラジオ英会話を中心に勉強し、一定程度は困らないレベルの会話能力を身につける事が出来たし英語も好きになりTOEIC800点付近に到達した。
結果論としては学校教育より独学の方が私には効果があった訳だ。
そもそも日本の英語教員はまともに英語がしゃべれない。しゃべれても発音が不正確だ。英会話は先生となる人間の発音能力が大きな問題になる。
そのため私はラジオ英会話や映画を先生にした。シャドーイングも誰から教えられた訳でなく自分自身で必要だと感じて実践して身につけた。
残念だが日本では高い質の英語教育を提供されていない。この構造は私が中高生だった昭和40年代から現在まで全く変わっていない。
国家の陰謀かと思うほどだ。

 

さて、英会話能力は人生において絶対必要かと問われたら、今のところNOと答えるだろう。もちろん喋れた方が良いと思っている。また職業や生活の中で英語を頻繁に使うのであれば喋れて使いこなせないと困る。しかし周辺の日常一般を見ていると英語が無いと絶対に困るということは日本においてはほとんど無いと云うのが現状認識だ。海外と仕事をする人でも英語を自由自在に操れる人は少数だ。実際、日本人にとって英会話が出来る人というのは未だにマイノリティーなのだ。

先日も都内で見知らぬ外国人の観光客に声をかけられたので、英語で普通に返したら東京都内でさえも日本人が英語をしゃべれる人が少ないのでとても感動された。東京のような大都市でさえこうなのだ。

 

私は日本国家が英語教育を充実させるのであれば、キチンとした目標を掲げキチンと使える環境を担保した方が良いと思う。単純に教養という範疇だけで英語が喋れるというのだけでは時間の無駄になり兼ねないからだ。使える場所がないのにツールを持っていても錆びてしまう。実際私も現在働いている職場で英会話を必要とされたことがない。だから自分で能力の維持に独自で注力している。

日本において英語を必要とする社会環境は濃淡度合いが非常に大きい。教育と社会環境の2つの課題に対応しない限り日本での英語教育は本当の意味で定着しないと考えている。

また楽天のように日本人同士でも英語で会議をするというような実務的に全く無意味な方法論で英語を強制的に獲得させるのは効果的な方法ではない。
あれは実務を阻害するだけでなく、英会話の能力を獲得する上で全く意味をなさない。英語がまともに喋れない人間と練習していても会話が向上するはずもなかろう。
よく英会話を「習得するため」に海外へ短期留学に行く人を見かけるが、こういう人に限って喋れるようになった人を見たことがない。当然と云えば当然で、そもそも会話の基礎もないのに向上するはずもなかろう。だいたいロス辺りに行って周囲の日本人とつるんで遊んだまま、英語の向上もなく帰国するのがお定まりのパターンだ。短期留学するなら、まず一定程度の会話レベルにしてから武者修行で行くべきだ。

幼小期から英語に接していた人間と後発で獲得する人間とは自ずと獲得過程が異なる。一旦出来上がった言語回路に新たな言語回路を構築させるのは一定以上の時間がかかり、構築方法も幼児期のような自然獲得のようにはいかないからだ。

 

政府は国際社会で活躍できる人材をどのようなイメージで考えているのか定義すべきだろう。そもそも内気で無口な人間や、積極性に欠ける人間などはたとえ英会話が出来ても国際社会で働くには不向きだろう。
また英会話が出来ても交渉能力の問題や実務の問題、人間関係の形成など会話能力とは別も能力も問われる。

日本人以外の人種と働くためには一定以上の胆力や、包容力、宗教や歴史的な知識・認識など様々な要素が必要とされる。英会話の能力はその1つでしかない。

確かに英会話能力は最低限度に条件だ。またその能力を身につけるために未だに四苦八苦している日本人が多いのも事実だ。
そのため英会話が出来る人は今でもそれを強みとして語る事ができるが、それが過大な幻想にされているように思う。
アジア圏でもシンガポールとかに行けば子供でも英語を話し、ペーパーバックの小説も読んでいる。フィリピン人だって発音はともかく英語で会話出来る人は多い。世界に出れば英会話の能力は珍しくないのだ。

かつて、とある母親が子供に英会話を身につけさせるために、日常全ての会話を英語で強制させている映像をテレビで見たことがある。私は随分と極端な英会話信奉者だなあと背筋が寒くなったが、英会話が出来る=国際人になれると単純に考える英会話信奉神話は、日本人社会の中でしか見られない現象だといえる。
幼小期からの英語習得の弊害を言う人は多い。少なくとも私に知り合いで中学時代にイギリスに行き、英語漬けになった友人は両方の言語をキチンと操れている。弊害も考えられなくもないが、キチンとした日本語教育を併用できれば避けられるとは感じている。


前述したが、日本国家が本当に英語の会話能力向上にシフトするのであれば、目標と環境を設定すべきだ。また英語を学ぶ上で一番必要なのは、日本人としてのアイデンティティーをキチンと持つことに他ならない。日本人として日本語を学び、歴史を知り、日本人としてのアイデンティティーをキチンと持たないまま単純に英会話だけを流暢になる人間を国際社会ではなかなかまともに受け入れてくれない。
英語を知るとこは西洋社会や文化を知ることに通じる。従って日本人として自分の社会や文化を知り、海外との文化の差異を知らなければ、どこにも属さない張り子の虎のような人間になってしまうだろう。

よくありがちなのは、クイーズイングリッシュ幻想だ。実際現在のイギリスでクイーズイングリッシュのような話し方をする一般のイギリス人は皆無だろう。それ故、一般人の会話の中で特に外国人からクイーズイングリッシュ的な発音の会話が出て来たとすれば、かなりスノッブな人間に思われるのは間違いない。
外国人が日常会話で皇室の人が使うような日本語の話し方をしてきたらちょっとギョっとするだろう。それと同じだ。

英会話は国際社会で生きるための1つのツールだ。ただこのツールがないと通用し難いのも事実だ。そういう意味で人間力の向上も含め英会話の習得を捉えるべきで、英会話の習得が独立している訳ではない点を強調しておきたい。


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