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ムヒカ・ウルグアイ大統領のリオ会議スピーチが語るもの [徒然なるまま]

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ムヒカ・ウルグアイ大統領のリオ会議スピーチが語るもの。

(日本語簡訳あり)

http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/?fb_ref=facebook&fb_source=home_oneline

ちょっと硬い話だが、結構シリアスで重要なのでブログに留めておく。
共産主義社会が事実上死滅し、資本主義社会が勝ったと思われた1980年代後半から早くも20年余り。資本主義が本当に人間や周辺環境にとって最良の方法なのかについて言い知れない疑念を感じているのは私だけではないだろう。「断捨離」「もったいない」という言葉が出てくるのは、こうした民衆心理が一般的にあるのだと思う。
自分自身の生活を鑑みてもこれ以上便利である必要もないと思っている。私は歴史を学び始めてから現代社会が過去の歴史に比して突然変異のように利便が向上した事実に驚愕している。それによる恩恵は計りしれないが、それによる弊害も計りしれない。

資本主義社会に生存する企業群は右肩上がりを目指し、我々もその傘下で生き、金銭保有の量が社会的地位や政治発言の源となっている。会社に居れば売上、利益が評価の主な対象になるが、その他は殆ど鑑みられない。それ故他人に物等を売り続ける事が止まらなくなる。消費がなければ企業は存続できず、傘下の我々も生存出来ない。
ムヒカ大統領はこうした点を「社会システムの根本的欠陥」と指摘している。バブル崩壊やリーマンショック、ユーロ問題、LIBRO不正などは、それらの分かりやすい兆候と言えよう。

人間が欲に任せてこれ以上消費を続ける事は、結果的に自らの生存環境を脅かすという事実についてほとんどの人々は見ない振りをしている。人間は崖っぷちに立たないと危機を認識し、共有しないという愚かな動物なのだろう。しかし崖っぷちに立った時は既に遅いと思わなければならない。確かに消費による社会の熱狂は抗し難い魅力がある。しかしカーニバルは永遠に継続出来ないのだ。

中国・インドのような大国の国民に対して大量の物を売り続けるということは、世界中でその副作用を共有することになるだろう。

非常に先進資本主義に生きる人間の利己的で不遜な見解と理解している上での発言で申し訳ないが、私は昔から中国が今後も共産党一党独裁国家で良いと思っている。その理由は
15億を超える人々が先進国並みの生活を享受し始めたら、結果的に我々も彼等もまともに生きて行けないだろうと思うからだ。中国や先進国並みにすることは地球環境的にはパンドラのハコを開けるようなものだ。インドもしかりだ。この考えは極めて差別的であるが、今後の新興国の発展と先進国の発展がシンクロ(同期)した場合の様々な副作用を考えた場合、どこかで均衡点を探らなければ地球規模で崩壊が起こるだろう。

資本主義陣営は、どこかで右肩上がり幻想から脱却が必要になるとだろうし、人口の多い新興国は先進国並になるという幻想は捨てるべきだろう。
全人類が全て右肩上がりを目指したら、最後には飽和することは自明の理だ。加えて人口は増えいるのに人類が生存出来るエリアや資源は限られている。火星に移住を計画している連中もいるが、地球すらマネージ出来ないのに火星移住など夢の又夢だ。

それ故に、大統領の言う「人間の幸せとは必要最低限度のものを持つことを目指す事」を人類が噛みしめる必要がある。共産主義でもなく資本主義でもない新しい理念(主義)の開発が必要だ。

人類の最大の友であり敵は「欲(GREED)」だろう。「
欲のコントロール」こそが今後の人類の生存の最後のKEYになることが疑いない。「足るを知る」という諺があるが、全人類で共有できるかはハードルが高い。私だって自信がない。
そう考えると、未来の人類諸氏が彼の発言を「本気で引用する時代」が仮に来たとしたら、残念ながら時は既に遅しかもしれない。その時は資源争奪のための世界間の戦争になり、敗者は強者の封建的な支配下に置かれるだろう。そして浪費と消費の果てに人類は滅亡するかもしれない。
そういう未来が来ない事を望むだけだ。放漫な消費過多が人類滅亡の共通項となれば、人類も目を覚ますかもしれない。
そして私は今日も断捨離してゆく。
死んだら何も持って行けない。現世とは体を含めて全て地球からの借り物なのだ。我々はヤドカリなのだ。


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