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50代からのメランコリー [徒然なるまま]

50代からのメランコリー

 

50歳を超えると色々と違う風景が見えてくる。20代に描いていた自分の50代のイメージと現在の自分は大きくかけ離れてしまっているかもしれない。逆に思い通りの人生を満喫している人もいるだろう。この年代は哀しい程社会的地位が決定的になる。
サラリーマンの50代はキャリアとして上がりの年齢であり、普通ここから突然キャリアが上がったりはしない。

社長になる者、役員になる者、部長クラスで居る者、課長で止まる者、ヒラのままの者など様々な立ち位置が決まる。年下の上司なんていう状態を甘んじて受け入れなくてはならない人だって多かろう。ここまで頑張って来た結果として、なかなかこうした現実を受け入れられない人が数多くいるに違いない。
おまけに自分より能力に劣っているが、会社の都合で役職についてしまったような若い上司の下で働く現実に、拷問のような気分で居る人も多数いるだろう。

ましてや自分の立ち位置がそれなりに頑張った末の結果だとすれば、どこで自分は積み上げ方を誤ったのだろうか?と自問するに違いない。

段々とメインの仕事から外されて、会社からの期待もなくなり、それとなくゾンザイな扱われ方にプライドをズタズタにされて、イラ立つ人も相当に多いはずだ。
でも日本中でそういう想いの人は自分一人だけじゃないんだという事は忘れないでいましょう。また皆さんの事を負け犬だという連中にはそう言わせておけばいいのです。禍福は糾える縄の如しとも言いますから。そういう連中にだって何かが起こる訳です。
私の知り合いにもそういう方を多く見かけるようになりました。嘗ては時代の先端を行くようのポジションで仕事をしていた人々も、キャリアの上がり具合に行き損じたため、止む無く会社を去る人もいる。

また独立後、決して順調とは行かないまま還暦に達し、仕事から引退する決意する人もいる。この年代は本当に様々な人間模様を見せる年代なのだ。

サラリーマンを例にすれば、マネージメントに入れる人間は社員全体の約2割以下なのです。そう、現実的にはサラリーマンの約8割はヒラで終わる。
もちろん役職を上げて責任ある地位に就き、高い報酬がもらえることに越した事はない。でもそうした人生を選択できる人はやはり限られた人たちであることを否定できません。その中に入れなかったとしてもそれを嘆く必要はない。

50
歳という年齢は、野球でいえば7回裏辺りにいる気分だが、やがてサラリーマン人生はゲームセットを迎えます。そして退職してから死ぬまでの人生だって結構長い期間がある。サラリーマン人生は9回表辺りだが、人生としてはまだ7回裏位なのです。
私自身を振り返っても、50代とは「自分を知る」年代ともいえる。いや自分を突き付けられると言ってもいいだろう。

成功者を羨む気持ちもある。しかし自分は自分でしかなく、その自分と死ぬまで付き合って行かねばならない以上、自分を殊更卑下することもなかろう。他人と比較ばかりしていても生産的な人生を送れる訳でもない。

50代にはいいしれないメランコリーがあるが、人生が締め切りに近付く中で、不要な物や事に惑わされなくなり始めた部分は良い年齢だと感じる。


私が
50代になって初めて感じたのは、「ちゃんと死ねる自分」でありたいということだろうか。


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